No25421-06 青山城 (あおやまじょう)       

北東側の土塁と空堀 河岸段丘の断崖

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 愛東町青山
築城年 : 不詳
形  式 : 平城(河岸段丘上)
遺  構 : 切岸(断崖)、土塁、空堀、土橋、虎口
訪城日 : 平成22年7月10日 

歴   史
「近江愛智郡志」には、「青山左近右衛門実貞、同左近允勝重等在住の地にして邸址ありと見ゆ」とあり、青山氏の居城と伝えている。青山氏については、小倉氏一族で佐々木六角氏に仕え近習であったとも記している。
青山三左衛門は、足利義輝に従い戦死、青山與三郎・同虎丸は織田信長に仕え本能寺に戦死するなどの記録も残っている。
なお、井元城と同じく方形単郭構造の主郭の外周に区画溝が廻らされており、昭和61年(1985)の外郭の発掘調査では5棟の掘立柱建物が検出され、在地土豪の居城が改修を受けたとされ、その改修は織田信長の鯰江城攻めに係わるものと考えられている。

構造と感想 北西側の土橋

主郭の遺存度は良好であるが、樹木の繁茂で見事な虎口、櫓台、郭内などの遺構観察がままならないのが誠に残念である。
青山城は、近隣の城と同様に愛知川河岸段丘上に築かれている。城跡の主郭は、一辺が65mの方形単郭で、南西の段丘側を除く三方に幅9m、深さ3.6mの空堀が廻り、その内側には高さ2m、上幅7~9mもの分厚い土塁を伴う堅固な造りとなっている。
土塁の南角は15m×15mと広く、礎石建ちの櫓が設けられ、その足元には段丘に向かい凹地を伴い開く虎口が設けられており、内枡形虎口と推定されている。
北西側の空堀内には4本の土橋形状があり、畝堀の外観を呈しているが、城郭遺構か不明とされている。
主郭の三方を取り巻く外郭は、南東から北西に200m、南西から北東に150m規模を持ち、その外周には不明瞭ではあるが土塁・堀跡が残っている。

道 案 内            
名神八日市ICを出た国道421号の八日市IC交差点を東に2.4km程行った御園交差点を左折する。国道307号に入り北に道なりに1.7km程行った妹南交差点を右折する。県道217号線に入り東に1.6km行った青山バス停・青山野菜出荷場前で左折する。右手の善勝寺や日吉神社を通り過ぎ斜め左へ坂道を上って行き、上り切った直ぐの所で右折する。直ぐ右手に広場があり、その奥が城址である。

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