No25403-3 小川城 (おがわじょう)       

字城ノ台 土塁か

城郭の概要
別  名 :
所在地 : 神埼郡能登川町小川
築城年 :
形  式 : 平城
遺  構 : 堀、土塁
訪城日 : 平成22年7月17日

歴   史
 西側の堀跡

小川氏の居城である。小川氏は、六角氏の重臣で佐和山城主であったが、六角氏の衰退後には小川城を居城として浅井氏に従った。
「信長公記」によれば、元亀2年(1571)9月朔日に隣の志村城(新村城)を佐久間信盛・中川重政・柴田勝家・丹羽長秀が四方から攻め立て落城させ、小川城にも織田信長に敵対する一揆が循籠もっていたが、新村城の落城によって、城主小川孫一郎は人質を進上して降参し、信長に赦免された。
降参後は信長の旗本に取り立てられ、後に豊臣秀吉にも仕え伊予の国(愛媛県)今治に7万石の所領を得たが、関ヶ原合戦(1600)で西軍として2500人の軍兵を率い従軍、小早川秀秋の寝返りに呼応したが、戦後に通款を明らかにしなかったことを咎められ改易された。

                     

構造と感想
説明版は小川老人憩いの家に建てられているが、憩いの家から西に80m程行った南北に走る道路の西側左右が城跡で小字名が「城の内」である。その右側が「城屋敷」と呼ばれ、瓦数枚が出土している。城跡は、東西約100m〜80m、南北約130mで周囲を川で囲まれ、川を堀としたと考えられている

道 案 内
国道8号を彦根方面から来て愛知川を渡った直ぐの簗瀬交差点を右折し県道52号線に入る。西に4.2km程道なりに進みJRアンダーを通過し、市役所能登川支所前の能登川中学校西交差点で右折する。北に770m行った田の中の十字路を左折し、西に140m程行ったところが「小川老人憩いの家」である。付近に駐車可能。

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