No25204−13 小森城 (こもりじょう)       

空堀 熊沢蕃山勉学の碑

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 近江八幡市中小森町
築城年 :
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、空堀、
訪城日 : 平成22年8月15日

歴   史
熊沢氏は、戦国期にこの中小森の地を拠点としていた土豪である。江戸初期の儒学者である熊沢番山の母親の実家で、蕃山は8才の時に外祖父の熊沢守久の養子となり熊沢氏を名乗り、一時期この地に住んだと伝わっている。
なお、熊沢氏の姻戚には小森氏や伊庭氏がおり、これらの中世以来の居館跡とも考えられている
熊沢守久は、福島正則の家臣として国替えについてまわっており、江戸詰も務めたことがある。正則死後、水戸藩に召抱えられ、その頃に蕃山を養子として迎えている。守久の娘亀が鍋島藩の野尻一利に嫁ぎ、蕃山は一利と亀の長男で守久の孫にあたる。当時の一利は京都で浪人の身になっており、生活が苦しい状態にあったため、養子になたとされる。。

構造と感想
小森城は中小森集落南西部の竹薮中に長辺50m、短辺35mほどの台形で土塁に囲まれた遺構が残っているとされるが、竹が密集しており遺構の確認はほとんど出来ない。なお、竹林の一画に熊沢藩山の顕彰碑と説明板が建てられていて、ようやく屋敷跡と知れるところである。
平成25年5月26日に再訪したところ、竹林は消失しており屋敷跡の位置が分からなかったが、案内板を辿ってようやく石碑に辿りついた。しかし、石碑がポツンと丸裸で建っていて周りの竹林は消失しており大変に驚いた。通り掛かりの人に尋ねると分譲宅地の造成が行われるとのことで、すでに遺構は完全に消失していて誠に残念である。

道 案 内
遺構消失後の状況
名神高速道竜王インターを下りて国道477号を北に4.2km程行った西横関交差点で右折し国道8号線に入る。国道8号を1.3km程北東に進んだ東川交差点(日野川を渡った次の交差点)で左折して県道326号線に入り、北西に2.2km程行った大森町交差点で左折する。その先630m程行った右手の桐原会館に駐車する。桐原会館の北西端から北東に小道を120m程歩くと案内板があり、その左手奥に石碑がある。
                 

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