No25208−01 鈎陣所 (まがりじんしょ)       

西よりの遠景 北西面の土塁と堀跡

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 栗太郡栗東町上鈎字寺内
築城年 : 長享元年(1487)
形  式 : 平城(陣所)
遺  構 : 土塁、堀
訪城日 : 平成23年2月19日

歴   史
室町幕府第9代将軍足利義尚は、近江国内の公家や寺社の所領を横領し、度重なる幕府の領地返還命令にも従わない六角高頼を征伐するため、長享元年(1487)9月近江坂本に出陣し、高頼の居城・観音寺城を攻めた。これに対し高頼が甲賀山中へ逃れたため、同年10月義尚は坂本から琵琶湖を越え安養寺に陣をおき、その後安養寺から20町余り離れた真宝館(鈎陣所)へ陣所を移し、公家や寺社に所領を還付した。
しかし、高頼は甲賀よりゲリラ戦を展開し、義尚軍は高頼勢を攻めきれず膠着状態に陥り、滞陣は長期化することとなり、鈎陣所はさながら仮の御所の様相を呈し、京より公家などが訪れ、陣中で歌会なども催されたが、同時に義尚は酒色に耽るようになった。そして、鈎着陣からおよそ1年半後の長享3年(1489)3月に義尚は鈎陣中において病に倒れ25歳の若さで陣没した。

構造と感想
現在の鈎陣所跡は、永正年間(1504〜21)に建立された永正寺の境内となっている。寺の山門から西側にかけて土塁と堀跡が残っている。また、東側の竹薮の中にも土塁が残っているようである。
現地に江戸時代に描かれた「寺内村由来図」をもとに作図された鈎の陣所平面図が掲示されているが、それによると陣所は土手と堀水に囲まれた「本丸」、「二の丸」の中心部と その北側から東側に設けられた堀水のみに囲繞された「三の丸」からなり、敷地は東西114間、南北120間と記載されている。この本丸跡に永正寺が建っている。
やはり室町将軍の陣した所であり、残存遺構からも堅固ぶりが窺える遺跡である。

道 案 内
名神高速栗東インターを下りて取付高架道路を国道1号方面に860m程走ると国道1号に下りるランプがあり、左手に下り国道1号に出る。国道1号を南西方向の大津方面に900m程走ると上鈎交差点で、その先に200m程で右折して細い道へ入る。入って30m程のT字路で右折し、北東に70m程行く。また、T字路で左折し、北西に75m進んだ突き当たりを右折する。その先50mが陣所跡の永正寺である。
お寺に駐車させていただきました。

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