No25301−02 歓喜寺山の遺構 (かんきじやまのいこう)       

北西側の土塁 西虎口内より

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 志賀町大物
築城年 : 元亀年間(1570〜73)
形  式 : 山城(標高374m)
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、虎口、
訪城日 : 平成25年5月18日

歴   史 南西尾根の堀切
歓喜寺の遺構は、延暦(782〜806)の頃に最澄が仏体を彫刻し伽藍を建立して創建したとされる古刹の天台宗天寧山歓喜寺の跡である。
元亀の争乱に際して、僧坊が城塞化され防備を固めたが、元亀3年(1572)織田信長の焼打ちにより堂塔伽藍は灰塵に帰し、この際に薬師像は住民が土中に埋め難を逃れたとされる。
文禄元年(1592)8月に薬師堂が建立され、この薬師像が安置されて今日に至っている。
歓喜寺山の遺構は、歓喜寺跡の北東側の標高374mの山丘頂部に築かれた詰城と考えられており、立地から見張り台の役割と歓喜寺の防御を担ったものと思われる。

主郭西方向 構造と感想
この城跡は、谷間の歓喜寺を眼下に俯瞰する位置を占め、地形上から同寺の防御にとって重要な城塞であったことが、現地を訪れるとよく分かる。
頂部に菱形をしたほぼ全周に土塁を伴った東西約45m、南北約30mの主郭が配され、北東側に腰郭を、東側に一段下がって帯郭を伴い、北に伸びる尾根には5段の段郭が、東に伸びる尾根にも腰郭や段郭が築かれている。虎口は西と東に開き、西の虎口は南西尾根を下り歓喜寺へと通じており大手と思われる。途中に堀切が入れられている。東の虎口は、出て直ぐに右に折れ帯郭の南端から南に伸びる尾根をつたい南の砦に通じている。主郭は、45m×30m程である。

道 案 内
湖西道路および志賀バイパスの志賀ICを下りたT字交差点から南方向の取付道路に入る。取付道を道なりに900m程走ると国道161号の志賀駅口交差点に至る。その交差点を左折して国道161号に入り今津方向(北方向)に1.2km程行った左手のアンティーク店を30m程越えたT字路で左折し、細い道に入る。細い道を道なりに630m程行った十字路で左折し、直ぐに志賀バイパス下を通り抜け40m先のY字路を左手に進む。Y字路から140m程行き橋を渡った直ぐで三方に分かれる道の中央の道(直進方向)に進む。その先へ440m程行くとT字路があり右折し、後は道なりに1.3km程行った終点が薬師堂である。道の終点の右側が薬師堂で、薬師堂の北東側の山丘頂部に城跡がある。薬師堂から北東方向に谷筋を通り、山丘から北に伸びる尾根に出て、尾根筋を南方向に登って行き頂部に至る。薬師堂の東の尾根を登って行っても頂部に行けるが、急な登りである。

TOPへ 戻る