No25364-09 大河原氏城 (おおかわらしじょう)       

主郭北隅の土塁と城址碑 主郭南西側の横堀

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 土山町鮎河字北山
築城年 : 長享年間(1487〜91)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、空堀、堀切、
訪城日 : 平成23年5月4日

歴   史
長享年間(1487〜91)に大河原源太が鮎河をの地を領有し築城。この地を本拠に代々六角氏に仕えたが、天正13年(1585)に至り、羽柴秀吉による「甲賀破儀」よって黒川氏とともに改易、城も廃城になったと云われている。

構造と感想
大河原氏城は、土山町鮎河のうち西野集落の北側に迫る丘陵上に位置している。主郭は、最初のピークに築かれ東西約40m、南北約35mの方形(南北軸から40度程傾いている。)で、東面を除く三面を土塁が囲繞しており、北西の隅部は一段高く櫓台状で、尾根続きに備えている。北東隅に虎口があり、石垣の形跡がみられ石垣で固めていたようである。土塁上にも多数の石が散乱しており、土塁の一部に石垣を築いていた可能性がある。南東の隅にある開口部は、小社への参拝道として造られた破壊道と見られている。
主郭の南側には、横堀をめぐらし、そこから南と南西方向にのびる支尾根に数段の段郭を配置している。南西の支尾根には堀切を入れた下方にも郭が配置されている。南の支尾根は、階段状である。主郭の東側に一段下がって大きな郭があり、そこから北東にのびる支尾根にも階段状に段郭が並んでいる。
北西の隅部から北の尾根続きは、櫓台から堀底まで約15mの巨大な堀切を入れているが、その外に細長い郭が続き北端を高さ約4mの土塁と、その南側の曲尺状の小さな土塁で仕切り、土塁の中央に虎口が開いている。
この城は、横堀、石垣を築いた虎口や土塁などを伴う中心部と支尾根部の構造に大きな違いが見られ、中心部が織豊期に改修を受けた可能性が指摘されており、こうした部分に見応えのある城である。

道 案 内
大河原氏城は、新名神土山インターを下り、国道1号に向かう。国道1号との前野交差点で右折して国道1号に入る。国道1号を1.3km程東進した土山支所前交差点で左折し県道9号線に入る。県道9号を道なりに5km程行くと青土ダムに至り、ダム堤体上を通り更にダム湖・野洲川沿いに4km程進むと突き当たりのT字路となる。T字路を左折し県道9号線を380m程北進し、農協の所で左折する。集落内を340m程西に進みT字路で右折する。北に道なりに100m程山手に向かうと左カーブとなり、カーブ中に右手に入る道があり、そちらに右折する。道なりに110m程行くと住宅の進入路に至る。その付近に駐車し、住宅の西側を北東方向に登ると直ぐ城跡である。

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主郭東北東隅の虎口         主郭西南西面の土塁
     
主郭北面の切岸         主郭北西隅の櫓台から郭内を見下ろす