No25207−01 浮気城 (ふけじょう)       

本殿裏の土塁 住吉神社

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 守山市浮気町
築城年 : 鎌倉時代
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、空堀、
訪城日 : 平成24年4月21日

歴   史 土塁
浮気城は、浮気時綱によって築かれたとされるが、詳細については不明である。
浮気氏は、北条氏の出で北条時綱の時に浮気を領したことに始まるとされ、その後、浮気階常が後醍醐天皇に仕え、藤丸五葉二花の紋を賜わっている。
室町時代を通じて佐々木六角氏に従い、応仁の乱(1467〜77)では浮気美作守貞綱が佐々木政堯と三上山麓で合戦に及んでいる。永禄11年(1568)織田信長の近江侵攻により佐々木六角氏が没落すると、信長に臣従、豊臣氏にも仕えた。
元亀元年(1570)信長が湖南の本願寺衆徒と対峙すると、守山勝部の城とともに浮気城にも奉行が配置された。廃城は、天正10年(1582)とされる。

構造と感想
県道が出来るまでや開発が進むまでは、浮気集落の東側を取り囲むように300mに及ぶ半円状の土塁と堀が残っていたようである。また、その内側にも半円を描くように路地が走りている。この地形から浮気城は集落全体を堀と土塁で二重に囲まれた平城であったと推測され、規模の大きい城郭であったと云える。
現在は、住吉神社境内の北西部に高さ1〜2m程の土塁が延長3、40mばかり状態よく残っている。その外側に平行して堀跡も残っている。
発展著しい湖南地域にある平城遺構としては、よく残ったものと思われる。

道 案 内
名神高速栗東インターを下りて取付高架道路を国道8号方面に向かい1.4km程走ると国道8号に合流する。国道8号を北東方向に1.5km程で辻交差点に至り左折する。県道11号線(琵琶湖大橋取付道路)に入り北西方向に道なりに1.8km程先の岡町交差点で左折する。西方向180m先の浮気町交差点を左折、南に100m行った路地に左折し、道なりに集落内を180m進むと住吉神社前に至るが、近辺に駐車スペースはない。城跡は、住吉神社の奥である。

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