No25207−10 勝部城 (かつべじょう)       

土塁状の高まり 神社鳥居前

城郭の概要                  
 四周の水路
別  名 :
所在地 : 守山市勝部1丁目8−8
築城年 : 明応〜大永年間(1492〜1528)
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、堀跡、
訪城日 : 平成25年9月8日     

歴   史
勝部城は、明応〜大永年間(1492〜1528)に永原筑前守重頼によって築かれたと云われるが、それ以前に在地領主勝部氏が在城したとも云われ、特定されていない。その後は、永原左馬充・加賀守らが居城したとされる。また、織田信長の上洛後は、稲葉右京太夫貞通、佐久間信盛が在城したと云われている。
元亀2年(1571)と翌3年に織田軍の佐久間信盛は勝部神社を陣所とし一向一揆の拠点となった金森三宅の両城を攻略した。
なお、勝部神社は昭和16年までは物部神社と呼ばれ、大化5年(649)に当時の領主であった物部宿禰国広により創建された。祭神が武神であったことから武家の信仰が篤く、近江国守護佐々木氏が出陣する際には、必ず勝部神社の竹を旗竿にしたと伝えられている。現在の本殿は、明応6年(1497)に佐々木高頼が造営したもので、国指定の重要文化財となっている。

構造と感想
勝部城は、勝部地区の北隅に鎮座する勝部神社境内にあったとされる。神社地の四周を水路が取り巻き、社殿奥北東側の水路沿いには土塁状の高まりが認められる。また、鳥居前で道路がクランク状に折れており、中世城館を思わせるが、果たして城郭遺構であろうか?

道 案 内
名神高速栗東インターを下りて取付高架道路を国道8号方面に向かい1.4km程走ると国道8号に合流する。国道8号に入り北東方向に520m程先の宅屋口バス停を越えた交差点(北東側にパチンコ店がある。)を左折する。県道145号線に入り北西方向に道なりに2.3km程行った善福寺手前の十字路を右折する。路地を北東方向に360m程入って行くと神社の鳥居前に至る。

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