No25524−02 小川城 (おがわじょう)       

北東よりの遠景 土塁上の小川氏累代の墓所

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 安曇川町上小川
築城年 :
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、墓所、
訪城日 : 平成22年3月6日

歴   史
小川城は、小川主膳正秀康の居城で、山本氏系図に「元亀3年(1572)秋織田信長公により新庄、田中、平井、横山、永田、小川城一時に落城す。」とあり、一方、その築城は『小川記』に「小川城ハ蒲生郡箕作城主 食邑七萬石 佐々木定頼ノ二男従五位下源義實ノ築ク処ニシテ」と述べられているが定かでないようである。

構造と感想
小川城は、安曇川町大字上小川に在り、旧字に北堀、南堀、西堀、中堀、城カイト、門口等があり、東西凡1町南北2町の範囲とされ、現況は宅地、山林、田地となっている。
城跡には、現在も小川氏のご子孫が住んでおられ、居宅西側の田の畦畔に小川城址の小さな案内板が建っている。その田と居宅の西と北側に高さ約1.5m、巾約4mの規模の土塁がL字型で残り、東西方向土塁の中程からは南に向かって仕切り土塁が5、6m程伸び、副郭構造であったことが窺える。なお、道路を挟んだ南東部にも土塁と思しき土手が残っている。

小川城の東に約100mには、江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹の私塾の藤樹書院跡がある。

道 案 内
 北側の土塁
国道161号高島バイパスの藤樹書院の案内標識がある安曇川芸術文化会館前交差点を東方向に曲がり、その先270m程で次の信号交差点に至る。その交差点を右折して道なりに290m程行くと十字路交差点(左手前方が藤樹書院)で右折し、西方向に100m程進むと国道161号の高架手前に至り、右手水田の畦畔に小川城の小さな案内板が建っている。北の奥に土塁が見える。
                

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