No25402-03 箕 作 館 (みつくりやかた)       

西部の東側内堀 西部の郭内

城郭の概要             
東部山本地区の石垣
別  名 :           
所在地 : 神崎郡五個荘町清水鼻
築城年 : 不詳
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、堀、虎口、石垣
訪城日 : 平成22年7月17日

歴   史

六角義賢が永禄5年(1561)に家督を子の義弼に譲り、自身は承禎と名乗り箕作城に移ったとの記録があるが、この箕作城が箕作館のことと考えられている。
また、佐々木定頼を祖とする箕作家系以外の舘跡ともされ、いずれにしても詳細は不明である。


構造と感想
観音寺城のある繖山と箕作城のある清水山が迫り狭隘となったところを、古くから東山道(中山道)が、現在は国道8号や東海道新幹線が通り、往古から交通を扼する重要な地点(安土町石寺と五個荘町清水鼻の間)であった。
中世には、その狭隘な地形を利用し、有事の際に通行を遮断できる大土塁が築かれていたとされ、その大土塁の痕跡が現在も所々に残り、東端に伝箕作館跡が位置していたとされる。
箕作館遺構は、清水山の西麓の伝箕作館跡から東に500m程山裾沿いに一段高く帯状に削平地が続き、横矢掛かりや石垣などが残っている。
伝箕作館跡は、遺構の西端に位置し、約60m四方の方形で東側に明瞭な二重の土塁と空堀が、南山裾側に土塁と空堀が残っている。そして、箕作館遺構の東端の山本地区には100m程にわたり石垣遺構が残っている。
伝箕作館の東側の外側空堀は、巨大で東方(江北側)への備えを厳重にしているように思えるがどうだろうか。また、清水山山頂の箕作城が詰め城で、伝箕作館が佐々木定頼を祖とする箕作家系以外の居館跡とも考えられるのでなかろうか。

道 案 内
国道8号線を彦根方面から来て観音寺城の南東山麓(安土町石寺栢尾、五個荘町清水鼻)にある神崎中央病院を過ぎた西濃運葛゚江営業所の手前を左折し、南東方向に130m程進むと箕作城のある清水山山裾に至る。新幹線のガードをくぐった右手斜め前方が伝箕作館跡である。

:伝箕作館跡 :山本地区 TOPへ 戻る