No25523-05 池の沢庭園 (いけのさわていえん)       

遣水状の流れと汀線 中島と景石

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 朽木村村井字湧出
築城年 : 平安時代後期
形  式 :
遺  構 : 庭園
訪城日 : 平成25年5月5日

歴   史
昭和55年村道の建設計画に先立つ発掘調査および平成18年からの名勝指定に向けた確認調査が実施され、出土した土器から、池泉は平安時代末期(12世紀後半)に造営され、その後2回の改修を経て、鎌倉時代前期(13世紀前半)に廃絶したとされる庭園遺構である。
同時期に都の郊外で営まれた庭園遺構の事例は極めて少なく、日本庭園史上の空白期を埋める貴重な遺構であるとして、平成24年1月24日国の名勝に指定されている。

構造と感想
遺跡の存する朽木谷は、京都と若狭を最短で結ぶ若狭街道がはしり、古来から近世にかけて重要な役割を果たした地域で、遺跡は、その朽木谷南部の南遠方に比良山系の最高峰である武奈ヶ岳を、眼前の安曇川を挟んだ東側には若狭街道を望む、北・東・南の三方が安曇川から切り立った崖で、西背後は急斜面の隔絶した環境に位置している。
池の沢庭園は、当時の姿を良好な形で現在に残している貴重な庭園遺跡とされる。
池の規模は、南北約80m、東西幅は南端で約7m、中央部で約23m、北側が最大幅で約32mの大規模なものである。池の北面は荒磯風石組が組まれ、中央北寄りには東西3m、南北6mの中島を配し、その南端には景石が据えられている。池の西岸南部から直径10〜20cmの川原石を敷いた州浜状の汀線や景石が見つかっている。当初は「水を湛えた庭」として造られ、その後「流れの池」に改修されたようである。
それにつけても、山深い中に風流な遺構が忽然と残されているが驚きある。早く由来が解明されることを願いたい。

道 案 内
県道23号線で朽木歴史資料館(朽木陣屋)前を南西方向に260m程通り過ぎ橋を渡ると国道367号の山神橋交差点に出る。左折して国道367号に入り大津方面に道なりに5.6km程行った東村井集落手前の右側にある村井橋へ右折する。橋を渡り80m程先のY字路を左手に進む。左に大きくカーブしながら210m程行くとT字路に出る。T字路で左折して400m程南に進むとY字路があり、左手の道を200m程行った右手断崖上の湧出館跡を通り過ぎた180m程先の左手側が「池の沢庭園跡」である。駐車場に説明板も整備されている。

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