No25461-10 河内城 (かわちじょう)       

西谷側段築の石積み 上城戸口の石段

城郭の概要
長土橋
別  名 : 猪鼻城
所在地 : 坂田郡山東町梓河内
築城年 : 鎌倉期                   
形  式 : 山城(標高350m) 
遺  構 : 郭、土塁、竪堀、城戸口、堀底道、長土橋、石積み  
訪城日 : 平成23年4月30日

歴   史
 頂部郭の南方向
この城に関する確かな文献は発見されていないが、日本城郭体系では、「柏原城に近く京極氏の隠れ城とも云う。」とある。
建武3年(1336)に京極氏の祖である氏信が築城したとされる太平寺城が焼失した後、正平8年(1353)頃に京極道誉は柏原城を居城としていた。この頃に京極氏の詰城として河内城が用意された可能性が高いとされている。
これは、この付近にこれほど巨大な城郭を構築するだけの勢力が他に存在しなかったことを根拠とする論説である。
                    

構造と感想
 頂部郭の猪鼻城遺跡碑 
河内城は、河内集落の最奥部、梓川の合流点背後の山上に築かれている。比高が150mの急峻な山容と東西の両側面を深い谷川で守られた要害地形で、南北650m、東西210mの広大な城域を有している。
上城戸口を入ると堀底道となり、城域の中央を南北に貫通している。その堀底道を250m程進んだ左手の高所が主郭部で、南北50m、東西30m程の広さがある。主郭の北東尾根筋に数段の削平地、南側にも東に少し傾斜のある三段の平坦地が続く。その先は、登り斜面となるが、それ程急ではなく、主郭を過ぎると堀底道が長土橋となり、その先は両側土塁の堀底道が斜面を登っている。
主郭の西側に谷が入り込み、谷の両側に尾根が張り出し、尾根上に数段の郭が設けられている。谷にも段築が築かれており、先端の谷底には土手で堰き止められた大きな池がある。これは水の手であろうか。
この城の防御施設としては、城戸口に石積みでクランクを形成し、城内は堀底道とし、両側の郭から横矢攻撃できる構造としている程度で、それ以外に特段の防御施設は認められない。
頂部に何段もの広い平坦地が認められるが、切岸はあまく段差も小さく明瞭性を欠いており、どこまでが城郭遺構なのかよく分からない。

道 案 内 頂部郭の西側堀底道
国道21号米原IC口交差点を東・大垣方面に5.7km程行った梓河内交差点で右折し、直ぐに名神の下をくぐる。名神下のガードより1.2km先集落の奥から三番目の橋わたり左折し、梓川の上流へ向かうと林道への入口で無施錠のゲートがある。そこに霊山登山口の案内板がある。(そこの手前の空地に駐車させていただいた。)案内板の左手の橋を渡り山道に入る。200m程も登ると河内城跡への案内板があり、そこで折り返して右手に登る。(ここを間違えると大変だ。)折り返し後は、かすかな踏みつけ道を辿りながら登るが、途中で道が崩れている所があり、そこで折り返し後は道跡を辿って登れば岩場の下城戸口や上城戸口を通り、堀底道を登ると両側に城跡が広がる。

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