No25401-11 | 一色城 | (いっしきじょう) |
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北東部の物見台跡 | 中央部の東方向 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : |
所在地 : 神崎郡永源寺町一式 |
築城年 : |
形 式 : 平城 |
遺 構 : 堀跡、櫓台、 |
訪城日 : 平成25年6月9日 |
◆ 歴 史 |
愛知郡志に「此邸は始め一色氏の住せし所なりしが後ち松井氏(松吉氏の誤り)氏代り住せり」と記している。 大洞弁天当国古城主名札には城主として松居石見守を、江州佐々木南北諸士帳には松吉石見守を挙げている。現地説明板は、永禄年間(1558~70)一色相模守相吉、一色石見守重吉が城主でったとしている。 なお、永禄11年(1568)9月織田信長の近江侵攻に際し、六角氏を見限り蒲生氏、速水氏らと共に信長に降ったと見られている。 |
◆ 構造と感想 |
明治初期の一式村地誌に「近世迄一重小堀土隄等アリテ四囲セシカ、今開墾シテ畑地或ハ草生地トナル。此面積三百五拾坪許」、近江蒲生郡志八には測量図を載せ、四周に壕と土手を巡らし東北隅に物見台、中央に井戸があったとするが、現在は詳細不明である。 と記されている。 また、集会所の南側に上門・下門、北西に城ケ塚など、城郭に関連する小字名も残されている。若宮八幡神社付近や北側と西側の水路に若干遺構らしさが残る。 なお、地元の方に聞いたところでは、二重に堀があったと伝承されているとのことである。 |
◆ 道 案 内 |
名神高速道八日市インターを下りて国道421号を東の永源寺方面に進み、2.4km程行った国道307号との(御園)交差点を右折し国道307号に入る。南に1.2km程行った瓜生津町交差点を左折し県道170号に入る。東に1.2km程行った左手奥の若宮八幡神社が城跡である。右手側に一式集会所があり駐車できる。また、集会所の道路側に説明板がある。 |
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