No25463-09 菖蒲嶽城 (しょうぶだけじょう)       

東城の西側土塁 西城の主郭

城郭の概要
西城から伊吹山を望む
別  名 :
所在地 : 坂田郡米原町梅ヶ原、彦根市山中町
築城年 : 不詳
形  式 : 山城(標高294.9m)
遺  構 : 土塁、堀切、土橋、堅堀、
訪城日 : 平成22年5月30日   

歴   史
東城の堀切
今井秀俊(秀信)は、享禄元年(1528)の内保合戦で高慶・信光方に与して高延・亮政方に敗れ、高延・亮政方に降ったが、天文2年(1533)に浅井亮政に江南守護・六角定頼への内通を疑われ、神照寺で誘殺された。
このため、残された尺夜叉丸(のちの定清)ら一門は、六角定頼の庇護を受け敏満寺に籠城している。尺夜叉丸は、元服し旧領への復帰を願い六角氏に人質を出して菖蒲嶽に砦を築くことを許された。 
なお、六角定頼が天文21年(1552)に没するに及んで、定清は六角氏を離れ、浅井久政の誘いにより北軍に復帰した.。
             

構造と感想
菖蒲嶽城は、東城と西城に分かれている。
東城は直下に東山道(中山道)が通っており、街道を監視する目的で築かれたと考えられる。城域は東西80m×南北40m程で、山頂から東に伸びる尾根の先端に築かれている。尾根続きには二本の堀切が築かれ、両側は竪堀に変化している。堀切の間は高さ1.3m×幅3.6mの土塁が築かれ尾根筋を強固に遮断している。その堀切の先が主郭となるが、堀切に平行して高さ2.5mの土塁が築かれており、土塁手前の堀底を南に迂回して主郭に入る形になっている。この土塁はL字型をしており、主郭の北側へと続いている。主郭内部の広さは、40m×20m程で北側と南側には犬走りが付設され、先端は街道に対し急斜面の構造となっている。

西城は分岐から西に伸びた尾根に削平地と堀切、竪堀が見られるが、土塁はなく古式な様式の砦跡である。


道 案 内            
西城の堀切・土橋
国道21号の米原IC口交差点を西に240m程行った樋口西交差点で左折、県道240号線に入り南に1.4km程行った番場交差点で左折する。左折後、南に3km程進むと右手に道標の石柱がある三叉路に至る。その付近に駐車し、北側角から山道に入り20分程尾根筋を登ると尾根が二筋に分岐する所(三本目の鉄塔の所)があり、右200m程先に東城が、左200m程先に西城がある。
                   

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