No25366−01 No25366−02
新宮城 新宮支城
(じんぐうじょう) (しんぐうしじょう)

新宮城の桝形虎口 新宮支城の主郭内西方向

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲南町新治字大門 所在地 : 甲南町新治字山口谷・大門
築城年 : 築城年 :
形  式 : 丘城(標高206.5m) 形  式 : 丘城(211.6m)
遺  構 : 土塁、堀切、虎口 遺  構 : 土塁、堀切、虎口
訪城日 : 平成23年3月26日 訪城日 : 平成23年3月26日

歴   史
新宮城、新宮支城は、甲南町新治に拠点を持ち服部城を居城とする服部氏の城と伝えられるが、城歴や城主などの詳細は不明である。
中世後期の甲賀は、小領主たちが同じ名前を名乗る一族同士で血縁的な結合を強め、同名中惣を形成し、さらに近隣のいくつかがまとまって同名中惣連合を組織していた。服部氏は、同名中惣連合の一つ荘内三家(鵜飼・内貴・服部)のうちの一家である。こうした連合は、永禄から元亀の頃になると、甲賀全域に拡大し、甲賀郡中惣へと発展していった。
同名中惣内の支配は、本家である総領家を中心としながらも、分家の自立度は高く、有事の際の動員などを寄合によって取り決め「掟書」として定める水平的な組織であり、城もそれぞれの家が構えたため、規模も形も同じような城が、数多く造られたと考えられている。
新宮城も新宮支城もそのような甲賀郡中惣の城の一つであり、平成20年に近隣の寺前城村雨城竹中城とともに「甲賀郡中惣遺跡群」として国の史跡に指定された。

構造と感想
新宮城・新宮支城は、甲南町新治の新宮上野集落の東側、磯尾川の西側に南北に伸びる丘陵上に築かれた「二城並立型」の城館遺構で、谷を挟んで北にあるのが新宮城、南にあるのが新宮支城で、両城は僅か50m程しか離れていない。
・・・・新宮城・・・・の主郭は、西奥にあり、主郭から前方の丘陵裾に向かって階段状に数段の郭が設けられている。主郭は、ほぼ方形で土塁内側で東西約25m、南北約30mを測る。四囲には均一規模の土塁が巡り、高さ約4m、上幅約7mを測る。尾根続きの南西背後と北側には、巨大な堀切を設け防御線としている。虎口は東角に開口し、2m下の副郭に連絡する。この副郭の開口部が見事で、副郭の南側に主郭虎口から伸びる土塁が東端で北に折れ曲り、桝形虎口を形づくっている。副郭の前方にさらに5区画の削平地が続いている。
築城当初は、主郭のみの単郭方形で構えられていたものが、戦国時代の後半に副郭以下の郭を増築し、桝形虎口もその際に導入されたと推測されている。全体的に良好な遺構が残り、単郭方形城館から進歩発展した様子がよく窺える城郭遺構である。
・・・・新宮支城・・・・は、新宮城のある支尾根の一本南側の支尾根上にあり、主郭はほぼ方形で土塁内側で東西約18m、南北約30mを測る。四囲には大規模な土塁が巡り、南西隅が最も高く、郭面との比高差は10mにもなっている。土塁は北東に行くに従い低くなって、東辺で郭面から約3mとなる。
築造は尾根を削り込みすり鉢状に窪ませるとともに、その南側と北側で尾根を断ち切るように巨大な堀切を穿って、出てきた土を上へ上へと掻き揚げ高い土塁を築いたと考えられている。郭面は南西隅にL字状に一段高くなっており、祠などを祀ったものとされる。虎口は東辺中央に開口し、下方に虎口受けを配している。さらに下方に平坦地が存するが、後世の耕作や植林に伴うものと推測されているので、甲賀特有の単郭方形城館跡で、巨大な土塁と堀切が見応え十分である。

道 案 内
新名神高速道を甲南インターで下りた最初の交差点である甲南IC口交差点で左折し、560m程北進すると新治口交差点に至る。そこで右折し630m程新名神沿いを東進した所の十字路交差点で左折する。県道49号線に入り、北に680m程磯尾川沿いを下ると左手に説明板と城址碑がある。
・・・・新宮城・・・・は、説明板からしっかりした山道を西に100mも登ると城跡である。
・・・・新宮支城・・・・は、新宮城の南側の谷を挟んだ向かい側にあり、説明板から左手に尾根に取り付けば直ぐに城跡である。

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新宮城の主郭を取り巻く土塁 新宮支城の主郭南側堀切
新宮城の主郭南西側の堀切と土塁 新宮支城の主郭虎口