No25366−03 No25366−04
村雨城 寺前城
(むらさめじょう) (じぜんじょう)

村雨城主郭の土塁と虎口 寺前城南側の堀切

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲南町新治字池ノ谷、寺前城、水谷 所在地 : 甲南町新治字池ノ谷、寺前城
築城年 : 築城年 :
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、堀切、虎口 遺  構 : 土塁、堀切、虎口
訪城日 : 平成23年3月26日 訪城日 : 平成23年3月26日

歴   史
村雨城、寺前城に関する文献記録は発見されておらず、城歴は明らかでないが、虎口への進入路を複雑に屈曲させるなど進歩した構造であり、単純な方形単郭を基本とする甲賀型城館からの発達が見られることから、16世紀後半頃の築城と推測されている。これは、永禄11年(1568)の織田信長の上洛に伴い、六角承禎が観音寺城から甲賀杉谷へと逃避したことにより、この地域に軍事的な緊張が生じたことが要因であると考えられている。
なお、村雨城、寺前城は、平成20年に「甲賀郡中惣遺跡群」として、近隣の新宮城、新宮支城、竹中城とともに国の史跡に指定されてる。

構造と感想
甲南町新治の新宮上野集落南方に南から北にのびる丘陵があり、その先端部分に築かれているのが寺前城、その50m南にあるのが村雨城である。

・・・・村雨城・・・・は方形複郭で、北東部に東西約40m、南北約60mの土塁に囲繞された主郭が配されている。南側の土塁が厚く高く、その外側に空堀がめぐらされ、さらに外側に土塁、土塁の外に谷が入り込み、二重堀切状を呈し、南の尾根続きを遮断している。また、土塁の北西隅は広くなっており櫓台で、西側の中央に虎口が開いている。虎口からの城道は、南西部の郭の裾をスロープ状に西方に下りながら城外に通じるが、左手には郭の土塁、右手にも竪土塁が伸び、城道を挟撃する構えとし、堅固な虎口構造を形成している。しかし、南西部の郭は、南面の丘陵を削り出して築かれており、城内からは巨大な土塁に見えるものの、城外側は土塁状に削り込んではいるが、堀切が設けられておらず、敵にこの削り残しの土塁に取り付かれると、城内が見下ろされることになってしまう。

主郭の北側は、尾根を切断する巨大な堀切が設けられ、その北方50mが寺前城の二重堀切となる。
なお、この50m間にも狭いながら削平地や仕切り土塁が設けられ、城域に取り込まれていることから、二城の連結タイプの城と考えられている。

・・・・寺前城・・・・は方形複郭で、西側の郭が主郭で東西約30m、南北約44mを測る。その四方に土塁がめぐらされ、現在も東側を除く三方に残っているが、東側の土塁は開墾で取り崩されたようである。南側の土塁は、尾根からの攻撃を意識して、一段高い土塁としている。主郭の東側に一段下がって南北に細長い郭が構えられている。
南側背後は村雨城からのびる尾根を巨大な堀切で断ち切り、防御を固めている。さらに内側、南側土塁の外方にもう一本堀切を設け、二重堀切となっている。内側の堀切は、武者隠し(塹壕)としても機能したと考えられる。
この城で最も注目されているのが虎口構造である。虎口は、主郭の北側中央と西側北隅の二ヶ所に開いているが、その先の城道ルートが複雑な構造をしている。まず、北側中央の虎口を出ると堀切に架けられた土橋となり、土橋の先はまた堀切が穿たれていて、城道は左に90度折れて堀切に下り、堀底を進み櫓台に突き当たって右に90度折れて城外に出る。次に、西側北隅の喰い違い虎口を出ると直ぐに右に90度折れ堀切に架けられた土橋を渡る。土橋を渡り終え右に90度折れて堀切間の土塁を進むと北側中央の虎口を出て渡る土橋に合流する。その後は同じ城道を通り城外に出る。城外への出口には、堀切間の土塁の西端に櫓台が構えられ、城道を守備するとともに谷間の平野部を監視できる。

両城は、他の甲賀の城館と同様に規模的には小さいが、構造面に結構見応えのある城である。

道 案 内
新名神高速道を甲南インターで下りた最初の交差点である甲南IC口交差点で左折し、560m程北進すると新治口交差点に至る。そこを直進し農道を50m程入ると右手に説明板と城址碑がある。
・・・・村雨城・・・・は、説明板から東北東に5、60mも山に入ると城跡である。
・・・・寺前城・・・・は、村雨城の北の尾根筋を50mも進むと城跡である。

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村雨城主郭の北側の堀切 寺前城虎口への城道
村雨城主郭への城道 寺前城主郭の北西方向