No25365−03 No25365−04
公方屋敷支城 和田支城T
(くぼうやしきしじょう) (わだしじょういち)

公方屋敷支城のL字型水堀 和田支城Tの縄張図

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 甲賀町和田字西谷 所在地 : 甲賀町和田字寺子谷
築城年 : 築城年 :
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、堀、堀切 遺  構 : 土塁、堀切
訪城日 : 平成23年5月14日 訪城日 : 平成23年5月14日

歴   史
・・・・公方屋敷支城・・・・の城歴については、詳細不明である。
・・・・和田支城T・・・・の城歴や城主については、詳細不明である。

構造と感想
・・・・公方屋敷支城・・・・は、甲賀町和田にあり、和田谷の北端入口部西側に位置し、対側の殿山城とともに谷口を押さえるように配置されている。
和田谷西側の丘陵から東に向けて突出する丘陵を鞍部で掘り切り、その東側先端部を城域としている。西端が箱堀状の堀切で、その東側に東西約50m、南北約30mの主郭が築かれている。主郭の西端には櫓台状の土塁、南側には一段低い土塁が東に伸び、L字型の水堀、そして南東隅の櫓台と思われる土壇と連なっている。それらの北側に主郭の削平地が広がる。主郭の北東下方には、東側から北側にL字型の二の郭が構えられ、その北西辺に内桝形状の虎口が開口する。主郭の東側二の郭との間に三角形状の腰郭が築かれ、東端からは北東に竪土塁が二の郭南端部を区画する形に伸びている。
この城が和田谷の入口を守備する役割を担ったとすると、備えは谷外の北方に向けられるべきであるが、主郭は谷内側となる南側に土塁や濠、櫓台を連ねており、配置が逆に思えるが、どうしてであろうか。また、主郭に水堀が存在するのも珍しく、興味をひく遺構である。
・・・・和田支城T・・・・は、和田谷の西側一番奥に位置し、南北にのびる丘陵から谷側(東側)に張出す丘陵の先端部に築かれており、その対面する東側は和田城である。
和田支城Tは、張り出た丘陵の鞍部を掘り切り、その東側を城域としている。堀切の東側頂部に南を除く三方を土塁が囲む方形の二段築成の主郭を構え、それより東側に一段低い台形状の副郭を、更にその東にもう一段下がって腰郭が築かれている。主郭の北側は、切岸中段に帯曲輪が付随し、帯郭の中央付近から北に竪土塁が伸び、その西側に腰郭が築かれている。いずれの郭もよく削平され、取り巻く土塁も規模が大きく見応え十分である。
堀切から東側の遺構で東西約150m、南北約110mに及び、さらにその西側の頂部も平坦地があり、西側の鞍部は僅かに掘り切られている。城郭の規模は、和田谷の中で最大とされる。

道 案 内
新名神高速道を甲南インターで下りて最初の交差点の甲南IC口交差点で左折し、広域農道に入り560m程北進すると新治口交差点に至る。新治口交差点で右折して、新名神沿いを東に2.4km行くとT字路に突き当たる。T字路を左折し北東方向に360m程進むと野尻交差点である。野尻交差点で右折して、県道4号線に入り道なりに5.5km程JR草津線沿いに進むと油日農協前交差点に至り、右折して50m先のJR草津線を渡る。渡って直ぐのY字路で左手の油日小学校沿いの県道51号線に入り、南に530m程行くと和田集落入口で左手に「和田老人憩いの家」がある。
・・・・公方屋敷支城・・・・へは、「和田老人憩いの家」から集落内を230m南進した十字路付近で道路端に車を置き、十字路から西に徒歩で道なりに160m程蛇行する集落内道路を進んだ目前の住宅西側から堀切に登る山道があり、30mも登れば公方屋敷支城跡である。
・・・・和田支城T・・・・へは、「和田老人憩いの家」から集落内を1km程南進したY字路の手前30mで右折する。西に80m入って右に折れ15m先の左手に主郭北東角の土塁上に祀られた「社」に登る道がある。50mも登れば主郭である。

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公方屋敷支城背後の堀切 和田支城Tの堀切
公方屋敷支城二の郭竪土塁 和田支城Tの主郭西方向(上段と土塁)
和田支城T主郭内の凹地