No25423−04 金剛輪寺城 (こんごうりんじじょう)       

堀切と土橋 L字形の空堀

城郭の概要                  
 尾根の削平地
別  名 :
所在地 :愛荘町松尾寺874
築城年 :
形  式 :山城(城郭寺院)
遺  構 :空堀、堀切、石垣、虎口、
訪城日 : 平成25年4月13日       

歴   史
金剛輪寺は、聖武天皇の勅願により天平9年(737)僧・行基が建立したと云われ、平安時代の嘉祥年間(848〜51)に慈覚大師・円仁によって中興され、天台宗の修業道場としたと伝えられている。
鎌倉時代には、西明寺、百済寺とともに天台宗湖東三山の一つとして隆盛を極め、多数の堂塔や坊舎を設け学生堂衆(僧兵)も常駐していたようであるが、天正元年(1573)百済寺が六角氏が籠る鯰江城を後援したことで、織田信長は百済寺を焼き払ったが、金剛輪寺も同罪ととして火を放たれたが、僧侶の奇知により本堂、三重塔、二天門等は焼失を免れたとされる。
なお、本堂をはじめとする中心堂宇は総門や本坊のある地点から数百メートルの石段を上ったはるか奥にあるため、見落とされ焼き討ちをまぬがれたのではないかという説もある。

構造と感想
城郭遺構は、寺院領域の外縁部に見られる。本堂の東方裏山にある三角点(標高469m)一帯は「城山」と呼ばれ、周囲を石積みで固めた約5m四方の削平地があり、そこからは湖東平野を一望でき、見張台の遺構と考えられている。本堂の北東340m地点の尾根にも背後を堀切、土橋で遮断された南北に細長い不整形な削平地があり、これより西方に下った尾根上(標高256m付近)に堀切を設け、さらに下方の崖上に8ヶ所の平坦地や数条の空堀が認められるようである。また、寺院の中心部である東谷の南側尾根上には、上方から堀切や削平地が連郭式に続き、東谷の入口部にはL字形の二重空堀、その外側に削平地が段郭状に設けられ、東谷を防御している。
これらは、参道を中心に両側に段築平場を設け、坊院、坊舎を最上部に堂塔を建てる寺院部と異なり、外縁部の平坦地は通路も不明確で寺院の持つ機能性とは全く異なっており、臨戦時に使用された城砦の遺構と考えられている。

道 案 内
名神高速道路を出た原町交差点を左折して国道306号に入る。国道306号を南東の多賀方面に5.4km程行った多賀交差点を直進し、国道307号に入り、南に7.3km程道なりに進むと松尾寺交差点に至る。同交差点を左折し、県道220号線に入り東に700m程で金剛輪寺前の駐車場である。なお、平成25年に同寺の南に湖東三山スマートICが設置され、同ICを下りた国道307号の交差点を右折し、次の信号が松尾寺交差点である。
城郭遺構は、本堂、二天門、参道のある東谷の南側尾根上に連なっている。

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