No25403−02 新村城 (しむらじょう)       

新村氏の墓とされる宝篋印塔 西面の屈曲した道路

城郭の概要                  
別  名 : 志村城
所在地 : 能登川町新宮町
築城年 :
形  式 : 平城
遺  構 : ー
訪城日 : 平成25年6月1日

歴   史
新村城は、新村氏の居城である。
元亀元年(1570)6月の姉川合戦後の9月に石山本願寺第11世法主顕如は、三好三人衆および浅井・朝倉氏と手を結び、各地の一向宗徒に檄を飛ばして織田信長に宣戦し、ここに大坂石山本願寺を拠点にした10年におよぶ石山合戦が始まった。近江の一向宗徒は、金ヶ森城を中心に、志村城や小川城に立て籠もって織田信長に対抗するが、元亀2年(1571)8、9月に信長は佐久間盛政、中川清秀、柴田勝家、丹羽長秀に命じ小川城・新村城を攻め、落城させた。

構造と感想
新村城は、愛知川の左岸、新宮町の浄土真宗本願寺派花鳥山乗蓮寺の東側一帯にあったと推定とされている。明治8年(1875)2月の年紀をもつ「神崎郡新村耕地整理図」にL字型に屈曲した二ヶ所の薮地が記されており、双方が屋敷地を取り囲んでおり、堀と土塁に囲繞された主郭部と推定され、外堀を含む規模は、東西80間、南北60間と想定されている。
なお、乗蓮寺の前の道路脇には、生垣に埋もれた城主の墓と伝わる宝篋印塔が現在も一基残されている。また、乗蓮寺は新村氏の菩提寺である。

道 案 内
国道8号を彦根方面から来て愛知川を渡った直ぐの簗瀬交差点を右折し、県道52号線に入る。西に4.2km程道なりに進みJRアンダーを通過し、市役所能登川支所前の能登川中学校西交差点で右折する。北に880m行った田の中の十字路を左折し、県道192号線に入る。西に930m程行った小川交差点を直進し、さらに西に300m程行ったところの変則十字路を右折し集落に向け、330m程進むと「乗蓮寺」前に至る。

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