No25203-9 | 垣見氏舘 | (かきみしやかた) |
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南側の堀と門 | 北側の藪地(土塁) |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : |
所在地 : 長浜市宮司町 |
築城年 : 室町期 |
形 式 : 平城(居舘) |
遺 構 : 堀、土塁 |
訪城日 : 平成22年2月13日 |
◆ 歴 史 |
垣見氏は、京極氏被官で永享10年(1438)に本拠であった神崎郡垣見(東近江市)からこの地に分住して来た。 文明3年(1471)には、比叡山から山門領坂田荘の公文に任ぜられている。 戦国期は、浅井氏に仕え忠実な家臣で、特に小谷城落城12日前にあたる元亀4年(1573)8月18日の浅井長政からの感状の存在は有名である。 館前で分流する十一川・中島川の両川は、下流の村々にとって重要な用水となるもので、その流れを堀として使う垣見氏は、用水管理者の役割をも担っていたと考えられ、土豪と村々の関係を知る貴重な資料とされる。 |
◆ 構造と感想 |
垣見氏館は、南北100m、東西50mの長方形で、南東部の隣りが宮川陣屋となっている。舘の西側と北側に土塁、南側と西側に堀が残っている。南側の川(堀に利用)に面して門があり、ここが虎口とされている。 明治初期には、舘の四囲に堀が巡り、土塁も南東部を除きほぼ一周していた。東部の土塁は、元禄11年(1698)に宮川藩(堀田氏)の陣屋が設けられた時に、破壊されたと考えられている。 現在も子孫がお住まいで、10点あまりの中世文書を相伝され、虎口付近には門も構えられ、さすが旧家と思わせる雰囲気が漂うのが嬉しい。 |
◆ 道 案 内 |
県道37号線の長浜IC交差点から西に550m程行った山科町交差点で左折する。県道510号線に入り南に1.2km程進んだ宮司町交差点で右折する。県道509号線に入り東に220m程行った交差点を右折する。南に180m程進むと宮川橋で右手側に宮川陣屋の石碑があり、川沿いを下流側に80m程行った先の右手が舘跡である。橋付近に駐車可能スペースがある。 |
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