No25403-5 伊庭御殿 (いばごてん)       

南側石垣 門跡

城郭の概要
 湧泉跡
別  名 :
所在地 : 神崎郡能登川町能登川
築城年 : 寛永11年(1634)
形  式 ; 平城
遺  構 : 石垣、井戸、庭園池
訪城日 : 平成22年7月17日             

歴   史

伊庭御殿は、徳川時代初期に徳川将軍が上洛のため江戸と京都を往復する際に利用した休息所で、街道筋にいくつか設けられた「御茶屋御殿」の1つである。
伊庭御殿は、寛永11年(1634)将軍・家光の上洛に際して造営されたもので、作事には近江(滋賀県)長浜出身の小堀遠州守政一が携わっている。大工頭中井大和守の子孫の家に指図が残っており、その指図と現状の地形がほぼ一致していることが確認されている。
なお、永原御殿が貞享2年(1685)に廃止されていることから、伊庭御殿もその頃に廃止されたと考えられている。
近江には、休息所である伊庭御殿の他に、「近江三御殿」と呼ばれる宿泊所である柏原御殿(山東町)、永原御殿(野洲町)、水口御殿(水口町)がある。


構造と感想

能登川集落の北東部、繖山とJR東海道(びわこ)線に挟まれた山裾に地元で「御殿地」と呼ばれる一角があり、そこが伊庭御殿の跡地で、ゲートボール場や愛宕神社の御旅所に利用されている。
発掘調査では、古指図と一致する建物の列石や井戸が確認され、石垣の高さも古指図にある高さ(六尺五寸=約1.95m)とほぼ同じ約2mと確認されている。
県内にある他の御殿跡が何れも方形の区画により構成されているのに対して、伊庭御殿は山裾に沿うような不正形区画となっており、全国的に見ても珍しく、特異な存在であり、江戸時代の御殿の性格を考える上で、県内の他の御殿跡とともに重要な遺跡とされている。
私の訪れた時期が悪かったのか、石垣遺構も草に隠れ写真の部分しか見えず、井戸も標柱だけで肝心の井戸遺構は全く見えず、惜しい思いで伊庭御殿をあとにした。


道 案 内
国道8号を彦根方面から来て愛知川を渡った直ぐの簗瀬交差点を右折し県道52号線に入る。西に4km程道なりに進みJRアンダーを通過し、能登川中学校前交差点で左折する。南に1.3km程行った能登川交差点を左折し、東にJRを越えて190m程進み、山裾の交差点に出て左折する。北に100m程行くと道が緩く左にカーブする所があり、しの右手山裾の奥が御殿跡である。

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