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城郭名 | No | 所在地 | 概 歴 | 遺存度 |
西濃 | ||||
菩提山城 | 21361-01 | 不破郡垂井町岩手 | 永禄元年(1558)竹中重元が岩手弾正を攻め滅ぼし、翌2年に菩提山城を改築したとされる。 | |
竹中氏陣屋 | 21361-02 | 不破郡垂井町岩手 | 羽柴秀吉の軍師であった竹中重治の嫡男重門が天正16年(1588)菩提山東麓に岩手城を構えた。 | |
垂井城 | 21361-03 | 不破郡垂井町垂井1349 | 慶長5年(1600)豊臣秀吉の馬廻りであった平塚為広が1万2千石で垂井城主となった。 | − |
栗原城 | 21361-04 | 不破郡垂井町栗原 | 永禄8年(1565)竹中重治が主君を諌めてのち隠棲生活を送ったと伝えられ、また、関ヶ原合戦で長宗我部盛親が布陣している。 | |
松尾山城 | 21362-01 | 不破郡関ヶ原町松尾 | 関ヶ原合戦の際、東軍に寝返った小早川秀が布陣して有名な山城である。 | |
玉城 | 21362-02 | 不破郡関ヶ原町玉 | 弘治年中(1555〜58)より岩手竹中氏家臣杉山内蔵之介が在城した様であるが、詳細は不明である。 | |
お茶屋屋敷 | 21202-01 | 大垣市赤坂町3421-1 | 将軍専用の休泊施設の造営を命ぜられた高須藩主徳永寿昌が慶長10年(1605)に完成させた。 | |
大垣城 | 21202-02 | 大垣市郭町 | 大垣は戦略上の重要拠点であり、関ケ原合戦で西軍の軍勢が一時本陣を置いたことで有名である。 | |
西高木家陣屋 | 21342-01 | 大垣市上石津町大字宮 | 高木貞利が、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で活躍し、翌年に加増され美濃石津郡に復帰し、構えた陣屋である。 | |
中濃 | ||||
岐阜城主居館 | 21201-01 | 岐阜市大宮町 | 稲葉山城の西麓に後斎藤氏が居館を構え、のちに織田信長が大規模改修を行い居館とした。 | |
岐阜城 | 21201-04 | 岐阜市金華山 | 急峻な岩山である金華山の狭小な山頂に築かれ山城で、斎藤道三や織田信長が居城とした。 | |
加納城 | 21201-02 | 岐阜市加納丸之内8-8 | 徳川家康が岐阜城に替わる美濃国の中心として加納城を築き、長女亀姫の娘婿奥平信昌を10万石で入城させた。 | |
黒野城 | 21201-03 | 岐阜市黒野 | 甲斐国24万石を領し文禄の役で病死した加藤光泰の嫡子貞泰が文禄3年(1594)美濃厚見・方県郡内4万石に減封、転封された際、黒野城を新たに築城した。 | |
小野城 | 21205-01 | 関市小野 | 美濃守護代一族斎藤氏の居城として、おおよそ大永年間前後に機能していたと考えられている。 | |
小倉山城 | 21207-01 | 美濃市小倉山 | 慶長6年(1601)金森長近が、高山城を養子可重に譲り、小倉山南麓に隠居城とし居館を構えた。 | |
鉈尾山城 | 21207-02 | 美濃市古城山 | 天文9年(1540)佐藤六左衛門尉が築城した佐藤氏の居城で、三代方政が関ヶ原合戦で西軍に属し改易され廃城になった。 | |
美濃金山城 | 21214-01 | 可児市兼山町古城山 | 東濃に侵攻した織田信長が森可成を城主とし、可成が城を大改修し石垣造りの城とした。 | |
明智長山城 | 21214-02 | 可児市瀬田地内 | 明智氏累代の居城で、斎藤道三に味方したため、義龍により攻め落とされとされる。 | |
大森城 | 21214-03 | 可児市大森 | 久々利城主の家老・奥村又八郎によって築かれ、東濃に侵攻した森可成によって攻め落とされた。 | |
久々利城 | 21214-04 | 可児市久々利字薬師洞 | 美濃国守護土岐氏支流の久々利氏の居城で、久々利頼興は森長可に金山城で謀殺された。 | |
和知城 | 21505-01 | 加茂郡八百津町野上字大門西 | 稲葉一鉄の4男・方通が、天正18年(1590)頃にこの地に移封となり知和城を築いたとされる。 | |
顔戸城 | 21521-01 | 加茂郡御嵩町顔戸字構 | 美濃国守護代斎藤妙椿が築いたとされる平城である。 | |
東濃 | ||||
苗木城 | 21206-01 | 中津川市苗木町 | 関ヶ原合戦で西軍方の苗木城を苗木友政が攻略し、旧領に復帰を果たして、居城とした。 | |
阿木城 | 21206-02 | 中津川市阿木字宮ノ前 | 戦国末期に織田か武田のいずれかの勢力によって築かれたと考えられている。 | |
小里城 | 21208-01 | 瑞浪市稲津町小里字城山 | 美濃国守護土岐氏支流の小里氏の居城で、織田そして徳川に従った。見事な天守台が残る。 | |
鶴ヶ城 | 21208-02 | 瑞浪市土岐町鶴城2659 | 美濃国守護土岐氏および一族の城であったが、織田が東濃に侵攻し武田との攻防の拠点とした。 | |
明智城 | 21210-01 | 恵那市明智町城山1318-1 | 戦国時代に恵那郡一帯に勢力を誇った遠山一族の明智遠山氏の居城で、織田そして徳川に従った。 | |
下手向城 | 21210-02 | 恵那市山岡町下手向 | 詳細は不明で、基本は単郭構造の城であるが、周囲の遮断を厳重に行った城砦である。 | |
岩村城 | 21210-03 | 恵那市岩村町城山 | 戦国時代に恵那郡一帯に勢力を誇った遠山一族の宗家岩村遠山氏の居城で、織田と武田の激しい争奪戦が繰り広げられ、長篠合戦後に織田が奪い返し、秋山虎繁・信長の叔母夫婦らを磔にした。 | |
大将陣 | 21210-04 | 恵那市岩村町988 | 織田信忠による長篠合戦後の岩村城攻めの本陣が置かれた小丘陵である。 | |
飯羽間城 | 21210-05 | 恵那市岩村町飯羽間字上切 | 遠山一族の飯羽間遠山氏の居城で、友信の寝返りで明知城は落城し、武田に従ったとされる。 | |
久須見城 | 21210-06 | 恵那市長島町久須見本郷中通 | 詳細は不明で、尾根先端に二区画を設け背後を堀切で遮断し、帯郭を付帯させた城砦である。 | |
妻木城 | 21212-01 | 土岐市妻木町上郷 | 土岐明智氏と一族の妻木氏の居城で、信長に従っていたが、明智光秀に付き山崎合戦で討死。しかし、家名は存続し、関ケ原合戦で東軍に付き所領を安堵され交代寄合格の旗本となり、山麓に陣屋を構えた。これが士屋敷である。 | |
妻木士屋敷 | 21212-02 | 土岐市妻木町御殿跡 | ||
飛騨 | ||||
高山城 | 21203-01 | 高山市城山神明町 | 羽柴秀吉より飛騨国3万3千石を賜った金森長近が天正16年(1588)に築城した。 | |
松倉城 | 21203-02 | 高山市西之一色町松倉山 | 天正7年(1579)に三木自綱が築き、ここを拠点に飛騨一円の平定にあたった。 | |
向井小島城 | 21621-01 | 飛騨市古川町信包字城山 | 飛騨国司の姉小路家は応永12年(1405)頃には三家に分流し、向小島城は向(小鷹利)氏の居城の一つになったとされる。 | |
小島城 | 21621-02 | 飛騨市古川町杉崎 | 姉小路三家の内、嫡流小島家代々の居城とされる。 | |
増島城 | 21621-03 | 飛騨市古川町増島町 | 天正13年(1585)金森長近が増島城を築き、蛤城にいた養嗣子可重を入れ、この地を治めさせた。 | |
百足城 | 21621-04 | 飛騨市古川町高野 | 築城時期等の詳細は不明である。 | |
野口城 | 21621-05 | 飛騨市古川町野口字城山 | 詳細な城歴等は不明である。 | |
広瀬城 | 21622-01 | 吉城郡国府町名張 | 天文(1532〜55)の頃に広瀬左近将監利治が築いたと云われ、家臣の田中与左衛門が守った。 | |
小鷹狩城 | 21623-01 | 飛騨市古川町信包牛ケ谷 | 城歴等の詳細は不明であるが、姉小路氏の一族である向(小鷹利)氏代々の居城と伝えられる。 | |
江馬氏下館 | 21625-01 | 飛騨市神岡町殿573−1 | 北飛の雄・江馬氏の居館で、花の御所の様相を呈し、14世紀末から16世紀初めまで使用された。 | |
高原諏訪城 | 21625-02 | 飛騨市神岡町殿 | 江馬氏下館の詰城として築城された。 | |
政元城 | 21625-03 | 飛騨市神岡町西字政本 | 三木氏の支配地域に隣接して築かれた江馬氏の支城である。 | |
石神城 | 21625-04 | 飛騨市神岡町石神字城山 | 江馬氏14代時経が築いたとされ、支城群の一つである。 | |
神岡城 | 21625-05 | 飛騨市神岡町城ヶ丘1 | 甲斐武田氏の重臣飯富(山県)昌景が縄張りし、江馬時盛に築かせた、越中侵攻の足場の城である。 | |
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城郭名 | No | 所在地 | 概 歴 | 遺存度 |
遠江 | ||||
諏訪原城 | 22425-01 | 島田市金谷 | 武田勝頼が天正元年(1573)高天神城攻略の拠点として馬場美濃守に命じて築城させた。。 | |
渥美五郎屋敷 | 22213-01 | 掛川市上土方峰向 | 大須賀康高に従い高天神城、横須賀城、久留里城と移り、康高卒去後に隠居して居住した館である。 | |
横須賀城 | 22442-01 | 掛川市横須賀 | 武田勝頼に奪われた高天神城の奪還拠点として天正6年(1578)家康が大須賀康高に築かせた。 | |
横地城 | 22446-01 | 菊川市東横地 | 南北朝に横地氏が築き、文明8年(1476)今川義忠の遠江侵攻に勝間田氏と共に対抗し落城した。 | |
高天神城 | 22447-01 | 掛川市上土方嶺向 | 今川氏から徳川家康が奪い、徳川氏と武田氏の間で争奪戦が繰広げられた境目の城である。 | |
勝間田城 | 22423-01 | 牧之原市勝田2160−1 | 遠江の豪族勝間田氏が築き、文明8年(1476)今川義忠の遠江侵攻に横地氏と共に対抗し落城した。 | |
伊豆 | ||||
長浜城 | 22203-01 | 沼津市内浦長浜字城山 | 室町期に北条氏が水軍の拠点として整備し、天正7年(1579)武田軍と海戦を繰り広げている。 | |
下田城 | 22219-01 | 下田市三丁目 | 豊臣方水軍に備え改修したが、天正18年(1590)1万余の水軍に包囲され2月の籠城の末、開城した。 | |
修善寺城 | 22322-01 | 伊豆市本立野 | 康安元年(正平16年(1361))鎌倉公方に反旗を翻した畠山国清によって築かれたと云われる。 | |
丸山城 | 22324-01 | 伊豆市八木沢字円山 | 北条氏の重臣で西伊豆に勢力を張った富永氏の出城で、豊臣方水軍に備え拡張改修された。 | |
高谷城 | 22324-02 | 伊豆市大藪 | 北条氏の重臣で西伊豆に勢力を張った富永氏の本城で、四区域からなる大城郭である。 | |
狩野城 | 22328-01 | 伊豆市湯ヶ島町本柿木 | 伊豆の大族狩野氏の本拠で、北条早雲の伊豆侵攻に抗戦し、明応7年(1498)遂に滅亡した。 | |
大見城 | 22329-01 | 伊豆市柳瀬字城山 | 北条早雲の伊豆平定において、大見三人衆が大見城を拠点に大いに活躍した。 | |
韮山城 | 22326-01 | 伊豆の国市韮山町韮山 | 延徳3年(1491)北条早雲が堀越公方を攻め伊豆に侵攻、本拠として整備し、小田原征伐で開城した。 | |
白水城 | 22304-01 | 賀茂郡南伊豆町長津呂 | 足利基氏が鎌倉に在ったころ、長津呂は土豪御簾三河守が白水城主として支配したと云われる。 | |
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城郭名 | No | 所在地 | 概 歴 | 遺存度 |
尾張 | ||||
犬山城 | 23215-01 | 犬山市犬山北古券65-2 | 国宝の天守は、元和3年(1617)尾張藩付家老・成瀬正成が城主となって改造を加え、現在の姿にしたと伝わる。また、小牧長久手合戦では、秀吉が陣を構えた。 | |
小牧城 | 23219-01 | 小牧市堀の内1丁目1(小牧山) | 永禄6年(1563)織田信長が美濃の斎藤氏を攻略するため築いた城である。また、小牧長久手合戦では、家康が陣を置き、大改修を加えており、その際の多くの遺構が明瞭に残っている。 | |
上末城 | 23219-02 | 小牧市上末722(陶昌院) | 文明年間(1469〜87)頃に足利将軍家の末裔である落合将監勝正によって築かれたと云われる。 | |
大草城 | 23219-03 | 小牧市大草字西洞(白山神社) | 文安年間(1444〜49)に西尾式部道永によって築かれたと云われる。 |
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小松寺山砦 | 23219-04 | 小牧市小松寺1121 | 天正12年(1584)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として築かれ、三好秀次、丹羽長秀などが守備した秀吉軍の主陣地である。 | − |
小口城 | 23361-01 | 丹羽郡大口町城屋敷一丁目 | 長禄3年(1459)織田遠江守広近によって築城され、文明元年(1469)以降は木之下城や犬山城の支城であった。 | |
東三河 | ||||
月ヶ谷城 | 23201-01 | 豊橋市嵩山町字山軍場 | 徳川領下の大永(1521〜28)の頃、西郷地区の西郷氏によって本坂峠を抑える目的で使用された。 | |
左京殿城 | 23201-02 | 豊橋市嵩山町字公護 | 大永3年(1523)左京殿城に拠っていた小枝左京進が西郷弾正左衛門正員に追われた。 | |
畔田城 | 23201-03 | 豊橋市城下町字築地ノ内 | 田原から豊橋南部の梅田川流域に掛けて勢力を誇った豪族 畔田氏の城とされる。 | |
大崎城 | 23201-04 | 豊橋市船渡町字城中内 | 戸田宣成が今橋城の牧野氏に対抗するため、最前線となる大崎城に入り、大改修を行なった。 | |
吉田城 | 23201-05 | 豊橋市今橋町 | 牧野氏、今川氏、松平氏が争奪を繰り広げた東西三河の境目の拠点となる城であった。 | |
野口城 | 23207-01 | 豊川市野口町字割池・当 | 城歴不詳。印具甚蔵・板倉主水重茲が城主として伝えられている。 | |
岩略寺城 | 23601-01 | 豊川市(音羽町)長沢町字御城山 | 文安年間(1444〜49)に今川氏の関口満興が築城。松平氏と今川氏が争奪を繰り広げた。 | |
一宮砦 | 23602-01 | 豊川市(一宮町)一宮町一宮 | 桶狭間の戦い後、八幡砦を落とした松平氏が、今川氏の牛久保城の抑えに築城した。 | |
茂松城 | 23604-01 | 豊川市(御津町)御津町広石高坂 | 細川氏一族が領有。その後、今川氏、松平氏と領有者が変遷し、関東移封で廃城となった。 | |
竹本城 | 23604-02 | 豊川市(御津町)御津町広石般山 | 高田政季が居を構え、姓を竹本と改め、戦国期は牧野氏に従い、同氏が徳川家康に下ると帰農した。 | |
野田城 | 23221-01 | 新城市豊島字本城 | 元亀2年(1571)西上作戦を開始した武田信玄が野田城を包囲、開城させたが、その後京都に向かうことなく帰国の途についたことで、歴史上名を馳せている。 | |
宇利城 | 23221-02 | 新城市中宗利字仁田 | 熊谷次郎直実の後裔である宇利熊谷氏の居城。今川氏と松平氏が争奪戦を繰り広げた。 | |
長篠城 | 23581-01 | 新城市(鳳来町)長篠字市場 | 天正3年(1575)武田勝頼が三河、遠江進出の拠点となる長篠城を攻めた長篠の戦いは、武田氏滅亡の始まりとなった戦いとして歴史上に有名である。 | |
医王寺砦 | 23581-02 | 新城市(鳳来町)長篠字弥陀前 | 天正3年(1575)武田勝頼が長篠の戦いで本陣を置いた山城である。 | |
大通寺山陣所 | 23581-03 | 新城市(鳳来町)長篠字大通寺山 | 天正3年(1575)の長篠の戦いで武田軍の馬場信房、武田信豊、小山田昌行らが陣を置いた所である。 | |
鳶ヶ巣山砦 | 23581-04 | 新城市(鳳来町)乗本鳶ケ巣 | 天正3年(1575)の長篠の戦いで武田軍の武田兵庫頭信実(信玄の弟)が布陣した。武田軍本隊が設楽原に進軍した際には、長篠城包囲隊として留まっていたが、徳川の臣酒井忠次の軍勢に奇襲され壊滅した。 | |
亀山城 | 23582-01 | 新城市(作手村)作手清岳字城山 | 長篠城で武田勝頼の包囲に耐えた作手奥平氏五代166年間の居城である。 | |
古宮城 | 23582-02 | 新城市(作手村)作手清岳字宮山 | 武田信玄が奥三河支配と三河進出の拠点として、元亀2年(1571)に馬場信房に命じて築かせた。 | |
塞ノ神城 | 23582-03 | 新城市(作手村)作手清岳字本城 | 元亀年間(1570〜73)武田氏と奥平氏の和睦の際に築かれ、古宮城の大手を防御した。 | |
石橋城 | 23582-04 | 新城市(作手村)作手清岳字寺屋敷 | 亀山城館群の一つ。奥平二代当主貞久の次男、弾正久勝が最初の城主で、三代貞昌に仕えた。 | |
川尻城 | 23582-05 | 新城市(作手村)作手高里字城山 | 作手奥平氏五代166年間の居城である亀山城以前の居城で、亀山城の市場である。 | |
蔵屋敷 | 23582-06 | 新城市(作手村)作手清岳字蔵屋敷 | 亀山城館群の一つ。亀山城の北虎口に対応する城館跡と推測されている。 | |
姫屋敷 | 23582-07 | 新城市(作手村)作手清岳字小馬呂 | 亀山城館群の一つ。亀山城の北虎口に対応する城館跡と推測されている。 | |
馬呂遺構 | 23582-08 | 新城市(作手村)作手清岳大馬呂 | 亀山城館群の一つ。亀山城の北虎口に対応する城館跡と推測されている。 | |
文珠山城 | 23582-09 | 新城市(作手村)作手清岳字見徳 | 元亀年間(1570〜73)武田氏と奥平氏の和睦の際に塞ノ神城とともに築かれた。 | |
田峯城 | 23561-01 | 設楽町田峯字城 | 設楽原より敗走する武田勝頼と城主の田峯城入城を留守居の菅沼定直らが拒絶した話が残る。 | |
寺脇城 | 23561-02 | 設楽町東納庫字軒山 | 現況の寺脇城は、名倉奥平氏の本城として機能したと考えられている。 | |
津具城 | 23561-03 | 設楽町(津具村)津具字麓 | 後藤善心が永禄5年(1562)今川氏の渡辺平内次に白鳥山城を落城させられた後に築城した。 | |
武節城 | 23545-01 | 豊田市(稲武町)武節町城山 | 設楽原より敗走する武田勝頼は途中、この武節城で休憩し、信濃から甲斐へ戻っている。 | |
西三河 | ||||
岡崎城 | 23202-01 | 岡崎市康生町 | 江戸期は「神君出生の城」として神聖視された。近世城郭へは豊臣家臣の田中吉政が改修した。 | |
岩津城 | 23202-02 | 岡崎市岩津町東山 | 松平氏(のちの徳川氏)が山間の松平郷から三河平野へ勢力を伸長する拠点となった城郭である。 | |
山中城 | 23202-03 | 岡崎市舞木町城山 | 愛知県内の戦国期山城としては最大規模で、織田や今川に備え松平元康が大改修した。 | |
日近城 | 23502-01 | 岡崎市(額田町)桜形町字般興 | 長篠城を武田軍から死守した作手奥平氏の分家である日近奥平氏の居城である。 | |
松平氏館 | 23211-01 | 豊田市松平町赤原13 | 松平(徳川)氏の居館跡で発祥の地であり、慶長18年(1613)9代尚栄が石垣や水堀を築いた。 | |
松平城 | 23211-02 | 豊田市松平町三斗蒔 | 松平(徳川)氏の始祖である親氏が応永年間(1394〜1427)に松平氏館の詰め城として築いた。 | |
松平城山城 | 23211-03 | 豊田市大内町城山 | 松平氏3代信光が改修し八男の光親(能見松平氏の始祖)を城主とし、永正年間、大給松平氏の支城となり、さらに松平宗家の支配下に入って、甲斐武田勢の侵入に備え改修された。 | |
大給城 | 23211-04 | 豊田市大内町城下 | 大給松平氏の初代乗元とその子乗正が永正4〜7年(1507〜10)にかけ大改修し居城とした。 | |
丸根城 | 23211-05 | 豊田市野見町7丁目 | 室町時代末期に築かれたと云われるが、詳細は不明である。 | |
古瀬間城 | 23211-06 | 豊田市志賀町城山 | 松平氏が高橋荘攻略の拠点として、永正3年(1506)に宗忠(長沢松平家)に築城させたと云われる。 | |
桜城 | 23211-07 | 豊田市元城町1丁目、二丁目 | 挙母藩主内藤政苗が陣屋の城郭化を計画したが、矢作川の洪水被害を受け完成を見ず断念された。 | |
七州城 | 23211-08 | 豊田市小坂本町7丁目 | 挙母藩2代学文が桜城の童子山への移転を安永8年(1779)に計画し、翌年から天明2年(1782)の期間をかけ完成させた。 | |
西広瀬城 | 23211-09 | 豊田市西広瀬町西浦 | 織田信長家臣の佐久間信盛や兄弟の信直、嫡男の信栄が居城したことが知られる。 | |
東広瀬城 | 23211-10 | 豊田市東広瀬町城下 | 松平氏と対立した三宅氏の居城。永禄3年(1560)松平元康に攻められ落城し、以後、松平に従った。 | |
広見城 | 23211-11 | 豊田市広幡町阿賀滝 | 織田氏に従った中条氏が在城。織田氏の高橋郡経営の拠点的な城館とされる。 | |
市場城 | 23523-01 | 豊田市(小原村)市場町城 | 鱸氏四代の居城。天正11年(1583)重愛が主郭周辺を石垣で固め、帯曲輪などの増設改修を行った。 | |
千ノ田城 | 23541-01 | 豊田市(足助町)上八木町千ノ田 | 詳細不明。地元では八木左門義員なる人物の城とされ、元亀元年(1571)武田軍の三河侵攻で落城。 | |
足助城 | 23541-02 | 豊田市(足助町)須沢・真弓 | 西三河山間部の三河鈴木氏の一統の足助鈴木氏の本城。発掘に基づき櫓等が復原されている。 | |
浅谷城 | 23541-03 | 豊田市(足助町)山谷町影洞・裏山 | 簗瀬氏が城主と推定されるが詳細不明。天正2年(1574)武田勝頼の侵攻で落城、廃城になった。 | |
椎城 | 23541-04 | 豊田市(足助町)則定町本郷・寺田 | 三河鈴木氏の一族の則定鈴木氏の持ち城とされる。慶長5年(1600)則定陣屋を構え、旗本で存続。 | |
大桑城 | 23543-01 | 豊田市(下山村)大桑町コンデ嶋 | 河合弥十郎が在城し、今川や松平と対立。天正2年(1574)武田勝頼の侵攻で落城したとされる。 | |
槙本城 | 23544-01 | 豊田市(旭町)槇本町大屋敷 | 城主を松井左近某と伝えるが由緒不詳。武田氏や松平氏の支配時に改修された。 | |
小渡城 | 23544-02 | 豊田市(旭町)小渡町薮下 | 城主は不詳とされるが、弘治2年(1556)に今川方の鱸(鈴木)氏が小渡城を普請した古文書が残る。 | |
大坪城 | 23544-03 | 豊田市(旭町)大坪町大入 | 詳細は不明も反今川勢力の築城と推測され、武田氏による改修も受けていると推測されている。 | |
本證寺城 | 23212-01 | 安城市野寺町野寺 | 堀と土塁で囲まれた寺内を形成し、高い中心地機能を発揮した寺院で、一揆の拠点となった。 | |
西尾城 | 23213-01 | 西尾市錦城町 | 永禄4年(1561)家康家臣の酒井正親が攻略、子・重忠が天正13年(1585)大改修。天正18年(1590)田中吉政の持ち城となり、三ノ丸を増設するなど大改修を行なった。 | |
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城郭名 | No | 所在地 | 概 歴 | 遺存度 |
北勢 | ||||
下平城 | 24321-01 | いなべ市北勢町下平字平180 | 城歴等は不明であるが、この地を領していた北畠氏の家臣・田切佐兵衛の居城と伝えられている。 | |
向平城 | 24321-02 | いなべ市北勢町向平字谷上 | 城歴等は不明であるが、この地を領していた北畠氏の家臣・田切佐兵衛の居城と伝えられている。 | |
治田城 | 24321-03 | いなべ市北勢町麓村字バラ門 | 治田氏二代が居城。その前、永禄年間(1557〜70)には楠正成の末裔正具の城であったと云われる。 | |
田辺城 | 24321-04 | いなべ市北勢町田辺字北山304 | 天正14年(1586)木造左衛門佐長政が信雄より員弁郡内に約1万石を与えられ、当城を築き、約4年間居城した。 | |
金井城 | 24322-01 | いなべ市員弁町北金井字亀谷 | 天文年中(1532〜55)に種村高盛が築き、代々居城したが、天正4年(1576)秀信は滝川一益に切腹をさせられ、一族は城を放棄し、離散した。 | |
大井田城 | 24323-01 | いなべ市大安町大井田字小谷口 | 栗田左衛門佐の居城とも印入道道信とも云われるが定かでない。城歴等も不明である。 | |
白瀬城 | 24325-01 | いなべ市藤原町本郷 | 『北勢軍記』に永禄4年(1561)城主近藤吉綱は治田城主治田山城守に攻められ、滅ぼされたとある。 | |
野尻城 | 24325-02 | いなべ市藤原町西野尻字南谷 | 文治年中(1185〜89)輪田右馬允が居城、のち白瀬氏六代、日置大膳、その子日向、塩谷兵部が居城。 | |
金ヶ原城 | 24341-01 | 三重郡菰野町千種字金ケ原 | 城歴等の詳細は不明であるが、近くの千種城の支城でないかと考えられている。 | |
千種城 | 24341-02 | 三重郡菰野町千種字城山8555 | 北勢48家の棟梁として勢力を誇った千種氏代々の居城である。 | |
伊勢 | ||||
津城 | 24201-01 | 津市丸之内本丸27 | 築城の名手として名高い藤堂高虎が、慶長13年(1608)入封して平時の居城として大改修を加えた。 | |
久居陣屋 | 24213-01 | 津市(久居市)久居西鷹跡町 | 津藩二代藤堂高次の隠居に伴い高久の弟佐渡守高通が5万石の分与を受け構えた陣屋である。 | ー |
城山城 | 24213-02 | 津市(久居市)戸木町3816-1 | 小牧・長久手の戦いで秀吉軍の蒲生氏郷、織田信包が戸木城に攻めた際、信包が陣した付城である。 | |
雲林院城 | 24382-01 | 津市芸濃町雲林院城山 | 長野城主二代長野祐藤の子祐高(祐尊)が分家し、雲林院氏を興し、築いた居城である。 | |
忍田城 | 24382-02 | 津市芸濃町忍田字城山 | 延久4年(1073)から応徳3年(1086)の間に忍田入道によって築かれたと云われる。 | |
細野城 | 24383-01 | 津市美里町北長野字細野 | 細野氏が安濃城に移ったのち長野氏が居城とし中伊勢を支配した。 | |
小山城 | 24403-01 | 津市一志町小山字二谷 | 北畠の臣大多和兵部少輔の城で永禄12年(1569)8月織田信長勢に攻められ落城し廃城になった。 | 未発見 |
八太城 | 24403-02 | 津市一志町八太字板取谷 | 北畠氏に属した田上氏の居城である。北畠氏滅亡後、秀吉に仕え、朝鮮の役で討死し断絶した。 | |
天花寺城 | 24405-01 | 松阪市嬉野天花寺町字堀田 | 久我氏が居城したが、織田信長の伊勢侵攻によって滅ばされた。 | |
伊賀 | ||||
伊賀上野城 | 24206-01 | 伊賀市(上野市)丸ノ内 | 慶長13年(1608)大阪の豊臣秀頼を包囲するため、徳川家康が藤堂高虎を伊勢に入部させ、上野城を西に備えた縄張りに改修させた。 | |
松山氏城 | 24206-02 | 伊賀市(上野市)上林字白地 | 伊賀の土豪 松山氏の堡である。 | |
早山氏城 | 24206-03 | 伊賀市(上野市)蔵縄手奥座敷 | 伊賀の土豪 羽山氏の宅址と推測されている。 | |
上出砦 | 24206-04 | 伊賀市(上野市)比土字早山 | 城歴等は不明である。 | |
山村氏城 | 24206-05 | 伊賀市(上野市)比土字早山 | 伊賀の土豪 山村氏の詰めの城、或いは、天正伊賀の乱における共同の城と推測されている。 | |
丸山城 | 24206-06 | 伊賀市(上野市)下神戸字坂田 | 伊勢の国主北畠信雄が天正6年(1578)に伊賀国侵攻のため築かせたが、伊賀の土豪衆に攻められ落城した。 | |
百地丹波守城 | 24206-07 | 伊賀市(上野市)喰代城谷 | 伊賀の上忍三家とされた百地丹波の砦跡と伝わる。 | |
北村氏城 | 24481-01 | 伊賀市(伊賀町)中柘植字堂谷 | 伊賀の土豪 松山氏の山城である。 | |
北村氏館 | 24481-02 | 伊賀市(伊賀町)中柘植字東畑 | 伊賀の土豪 松山氏の館跡である。 | |
春日山城 | 24481-03 | 伊賀市(伊賀町)川東字春日山 | 天正9年(1581)織田勢の伊賀侵攻に対し、川東や周辺の土豪が結集して激戦を繰り広げた城跡である。 | |
沢氏東館 | 24481-04 | 伊賀市(伊賀町)川東 | 川東の土豪 沢氏の居館跡とされる。 | |
澤村氏館 | 24481-05 | 伊賀市(伊賀町)川東井戸川 | 伊賀の土豪 沢村氏の居館とされる。同家には、「萬川集海」など多くの古文書が残されている。 | |
雨乞山城 | 24483-01 | 伊賀市(阿山町)下友田字谷出 | 天正9年(1581)天正伊賀の乱で織田軍の伊賀侵攻に対し、伊賀の郷士が構築した山城である。 | |
寺坂城 | 24483-02 | 伊賀市(阿山町)下友田字寺坂 | 城歴など詳細は不明である。 | |
竹内氏城 | 24483-03 | 伊賀市(阿山町)下友田字寺坂 | 城歴など詳細は不明であるが、竹内氏は山内・川合両氏と一族で、山内氏と同様に雨乞山城で織田軍と戦ったと考えられている。 | |
山内氏城 | 24483-04 | 伊賀市(阿山町)下友田字谷出 | 雨乞山城を詰城とする山内氏の居館跡と伝わっている。 | |
福見氏城 | 24483-05 | 伊賀市(阿山町)下友田字谷出 | 福味氏宅址と比定されるが、城歴などは不明である。 | |
稲増氏城 | 24483-06 | 伊賀市(阿山町)下友田字佐双田 | 伊賀の土豪 稲増氏の宅址である。天正9年(1581)の天正伊賀の乱で雨乞山城に立て籠もった。 | |
川合氏城 | 24483-07 | 伊賀市(阿山町)下友田字佐双田 | 伊賀の土豪 川合氏城と比定している。城歴などは不明である。 | |
山田氏城 | 24484-01 | 伊賀市(大山田村)中村字宮谷 | 『三国地誌』に「山田氏堡・・・中村・・・」とある。 | |
宮谷城 | 24484-02 | 伊賀市(大山田村)中村字宮谷 | 城歴などの詳細は不明である。 | |
南出砦 | 24484-03 | 伊賀市(大山田村)中村字宮谷 | 山田氏城の前衛拠点と考えられているが、城歴等の詳細は不明である。 | |
植田氏城 | 24484-04 | 伊賀市(大山田村)下阿波字樋詰 | 『三国地誌』に「植田氏堡・・・」とある。 | |
山下氏城 | 24484-05 | 伊賀市(大山田村)中馬野字上山 | 『三国地誌』に「山下氏堡・・・中馬野村・・・」とある。 | |
福岡氏城 | 24484-06 | 伊賀市(大山田村)中馬野字上山 | 『三国地誌』に「福岡氏堡・・・中馬野村・・・」とある。 | |
福持氏城 | 24484-07 | 伊賀市(大山田村)中馬野字上山 | 『三国地誌』に「福持九郎宅址は馬野前司が裔孫九郎元乗居守」とある。 | |
城氏城 | 24501-01 | 伊賀市(青山町)伊勢路字道筋 | 『三国地誌』に城氏宅址とあるが、館でなく城砦とされる。 | |
小鴨氏城 | 24501-02 | 伊賀市(青山町)岡田字向 | 伊賀の土豪 小鴨氏の堡される。 | |
本田氏城 | 24501-03 | 伊賀市(青山町)柏尾 | 『伊乱記』にみえる柏尾の本田要害である。天正9年(1581)の天正伊賀の乱で落城した。 | |
阿保城 | 24501-04 | 伊賀市(青山町)阿保上ノ代 | 北畠家臣の安保氏の居城と考えられている。天正13年(1585)筒井定次の家臣・岸田伯耆が居館を築いたとされる。 |
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城郭名 | No | 所在地 | 概 歴 | 遺存度 |
富山城 | 16201-01 | 富山市本丸 | 天文12年(1543)神保長職が創築。上杉、神保、佐々、前田と変遷し、一旦廃城となる。寛永16年(1639)加賀藩が前田利次に10万石を分与し富山藩を立藩させ、富山城を居城として整備した。 | |
城生城 | 16361-01 | 富山市八尾町城生字城鉄砲町 | 文和年間(1352〜56)に斎藤氏が創築。しかし、天正11年(1583)佐々氏に追われた。 | |
富崎城 | 16362-01 | 富山市婦中町富崎 | 神保氏の支城で新川郡へ進出した長職が天文年間(1532〜55)に本格的な城郭に改修、その後も上杉、佐々氏が修築した。 | |
安田城 | 16362-02 | 富山市婦中町安田字殿町割 | 秀吉が越中征伐で白鳥城を本陣とし、同城にいた前田氏家臣の岡島一吉が安田城を築き移った。 | |
高岡城 | 16202-01 | 高岡市古城 | 慶長14年(1609)前田利長の隠居城の富山城が焼失後、高山右近の縄張で高岡城が築城された。 | |
天神山城 | 16204-01 | 魚津市小川寺字天神山 | 越中国東部を支配した椎名氏が支城として築いたとされ、織田軍の魚津城攻めの際には上杉景勝が着陣したとされる。 | |
石の門砦 | 16204-02 | 魚津市升方字石の門 | 松倉城の城下町と云われる鹿熊集落の西の入口に当たる石垣造りの門跡とされる。 | |
松倉城 | 16204-03 | 魚津市鹿熊字城山 | 越中守護井上俊清が戦に敗れ籠り、その後は、桃井氏、椎名氏、上杉氏などの持城となり、戦国期には周辺に水尾城、升方城を始め多くの支城や砦が設けられた。 | |
武隈屋敷 | 16204-04 | 魚津市小菅沼 | 松倉城主椎名氏の家老武隈氏の屋敷跡で、松倉城の支城としの役割も担っていた。 | |
升方城 | 16204-05 | 魚津市舛方字城山 | 松倉城西側の支城群の一つである。 | |
森寺城 | 16205-01 | 氷見市森寺 | 能登畠山氏の支城であったが、上杉氏、神保氏、佐々氏と変遷し、越中征伐後に廃城になった。 | |
阿尾城 | 16205-02 | 氷見市阿尾字城山 | 天正・文禄年間(1573〜96)頃には菊地右衛門入道・十六郎父子が居城していた。 | |
増山城 | 16208-01 | 砺波市増山一の丸 | 松倉城、守山城と並び「越中三大山城」と称され、神保長職が本格的に築城し、永禄3年(1560)上杉謙信に富山城を追われ際、この城に逃れたが、天正4年(1576)攻略された。 | |
亀山城 | 16208-02 | 砺波市増山字高津保理山 | 南北朝期の「二宮円阿軍中状」に登場する「和田城」にあたると考えられている。 | |
隠尾城 | 16405-01 | 砺波市庄川町隠尾 | 神保氏が上杉謙信に増山城を追われた際、この戦火に巻き込まれ隠尾城主南部源左衛門尚吉も討死した。子の源右衛門は飛騨国へ逃れ、戦乱が静まった後に戻り、城の脇に館を構えた。 | |
宮崎城 | 16343-01 | 下新川郡朝日町宮崎字城山 | 寿永元年(1182)北陸宮の御所として源義仲が築いた。室町期以降、頻繁に支配者が入れ替わった。 | |
横尾城 | 16343-02 | 下新川郡朝日町横尾 | 北東1.3kmの宮崎城を意識した縄張りとなっている。 | |
城 | 16201-01 | 市 | 。 |
石川県の城 | TOPページへ 東国の城TOPへ 富山県のTOPへ | |||
城郭名 | No | 所在地 | 概 歴 | 遺存度 |
加賀 | ||||
金沢城 | 17201-01 | 金沢市丸の内 | 天正8年(1580)本願寺支坊の尾山御坊から城郭へと改修され佐久間盛政の居城となり、同11年の賤ヶ岳合戦後に前田利家が入城した。 | |
小松城 | 17203-01 | 小松市丸の内町 | 慶長5年(1600)関ケ原合戦の際に長重は改易され前田利家の持ち城となり、寛永16年(1639)三代利常の隠居城として金沢城の倍の城域を誇る城に改修された。 | |
鳥越城 | 17347-01 | 白山市(鳥越町)三坂町 | 天正8年(1580)3月信長の前に石山本願寺顕如が屈したが、抵抗を続け天正10年(1581)3月に佐久間盛政によって鎮圧された。 | |
末森城 | 17386-01 | 羽咋郡宝達清水町南吉田 | 天正12年(1584)徳川家康に同調した越中の佐々成政が前田氏攻撃のため、1万5千の軍勢で末森城を囲むが撤退へと追い込まれた。 | |
能登 | ||||
七尾城 | 17202-01 | 七尾市古城町 | 天正5年(1577)に落城するまで169年間能登を収めた畠山氏の居城で、石垣が見事である。 | |
小丸山城 | 17202-02 | 七尾市馬出町 | 天正9年(1581)能登一国を与えられた前田利家が、翌年に築いた居城である。 | |
城 | 17-01 | 市 | 。 |
福井県の城 | TOPページへ 東国の城TOPへ 石川県のTOPへ | |||
城郭名 | No | 所在地 | 概 歴 | 遺存度 |
越前 | ||||
福井城 | 18201-01 | 福井市大手3丁目 | 徳川家康の二男結城秀康が越前13郡68万石を賜り、慶長6年(1601)から約6年をかけて築いた。 | |
東郷槇山城 | 18201-02 | 福井市小安町 | 応永年間(1394-142)頃の築城され、文明3年(1471))頃には朝倉氏の一乗谷の支城となった。 | |
成願寺城 | 18201-03 | 福井市成願寺町 | 槇山城は一乗谷城の二ノ丸に、成願寺城は三ノ丸に位置付られ、朝倉氏本拠一乗谷の西方を護った。 | |
小見放城 | 18201-04 | 福井市城戸ノ内町 | 城歴等は不明であるが、一乗谷城の北西山麓を護る出城で、谷を隔て西側にも小城が築かれている。 | |
一乗谷城 | 18201-05 | 福井市城戸ノ内町 | 一乗谷に構えられた朝倉氏の居館に対する詰の城である。 | |
一乗谷館 | 18201-06 | 福井市城戸ノ内町 | 一乗谷に構えられた朝倉氏の居館で、城下の一部が復元され当時の雰囲気を味わえる。 | |
安居城 | 18201-07 | 福井市金谷町 | 足羽7城の一つとされる安居城は、南北朝期に越前守護斯波高経の家臣細川出羽守が築いた。 | |
天神山城 | 18207-01 | 鯖江市西番町、入町 | 築城年代は定かではないが、城主は立待和泉守、朝倉氏家臣の千秋因幡守と伝えられている。 | |
三峯城 | 18207-02 | 鯖江市上戸口町 | 平泉寺衆が南朝方に寝返り築いた城で、城将に新田義貞の弟・脇屋義助が入り立て籠もった。 | |
吉江藩陣屋 | 18207-03 | 鯖江市吉江町 | 正保2年(1645)福井藩より2.5万石を内分知されて成立した吉江藩が築いた陣屋である。 | ー |
吉崎御坊 | 18208-01 | あわら市(金津町)吉崎 | 京を追われた蓮如が北陸の布教拠点として、文明3年(1471)7月に吉崎御坊を建立した。 | |
丸岡城 | 18210-01 | 坂井市丸岡町霞1-59 | 天正4年(1576)柴田勝家の養子・勝豊が山城の豊原城から利便性の高い丸岡に移り築いた城である。 | |
木ノ芽峠城 | 18404-01 | 南条郡南越前町(今庄町)二ツ屋木ノ芽峠 | 南北朝期に築かれ、織田信長の進攻に備え朝倉義景が永禄12年(1569)に本格的な改修を行った。 | |
鉢伏城 | 18404-02 | 南条郡南越前町(今庄町)二ツ屋鉢伏山 | 織田信長の越前侵攻に備え朝倉義景が永禄12年(1569)に築き、印牧弥六左衛門に守備させた。 | |
西光寺丸城 | 18404-03 | 南条郡南越前町(今庄町)二ツ屋木ノ芽峠 | 織田信長の越前侵攻に備え朝倉義景が永禄12年(1569)に木ノ芽峠城塞群の一つとして築いた。 | |
観音寺丸城 | 18404-04 | 南条郡南越前町(今庄町)二ツ屋木ノ芽峠 | 織田信長の越前進攻に備え朝倉義景が永禄12年(1569)に本格的な改修を行った。 | |
疋壇城 | 18202-01 | 敦賀市疋田 | 越前朝倉氏の最南端の防衛拠点としての役割を担ったが、信長の越前侵攻で落城した。 | |
敦賀城 | 18202-02 | 敦賀市結城町 | 天正10年(1582)蜂屋頼隆が敦賀5万石の領主となり築城し、次の領主大谷吉継が大改修を行った。 | ー |
手筒山城 | 18202-03 | 敦賀市 | 元亀元年(1570)越前に侵攻した織田信長に攻められ疋壇城、金ヶ崎城と共に落城した。 | |
金ヶ崎城 | 18202-04 | 敦賀市 | 元亀元年(1570)越前に侵攻した織田信長に攻められ疋壇城、手筒山城と共に落城した。。 | |
若狭 | ||||
大塩城 | 18204-01 | 小浜市口田縄 | 文明元年(1469)に若狭武田氏の家臣大塩吉信が築いた。この地方では珍しい障子堀状堀切がある。 | |
新保山城 | 18204-02 | 小浜市新保 | 叛乱を起こした粟屋元隆を討取った守護信豊が弟信高をこの城に入れ、後瀬山城の東を防御した。 | |
小浜城 | 18204-03 | 小浜市城内1丁目 | 関ケ原合戦後、若狭小浜8万5千石を拝領した京極高次が後瀬山城に代わり築城した海城である。 | |
後瀬山城 | 18204-04 | 小浜市伏原 | 若狭守護武田氏の四代46年間の居城となった山城で、京極高次の小浜城築城により廃城となった。 | |
中山の付城 | 18442-01 | 三方郡美浜町佐柿 | 国吉城攻めで越前朝倉氏が永禄7年(1564)に築いた付城であるが、国吉城方に一旦奪われている。 | |
国吉城 | 18442-02 | 三方郡美浜町佐柿 | 若狭武田氏の重臣栗屋勝久が国境警備の城として再築したされ、越前朝倉氏に対する10年に及ぶ籠城戦が有名である。 | |
粟屋勝久館 | 18442-03 | 三方郡美浜町佐柿 | 国吉城の山麓に構えられた居館で、江戸期酒井氏が佐柿町奉行所(陣屋)を置いた。 | |
佐柿陣屋 | 18442-04 | 三方郡美浜町佐柿 | 寛永11年(1634)入部した酒井忠勝が敦賀や佐柿の支配のため、奉行所や御茶屋屋敷を置いた。 | |
白石山城 | 18481-01 | 大飯郡高浜町馬居寺 | 永禄4年逸見一族の反乱に対し、その備えとして武田氏被官粟屋小次郎が築城した。 | |
砕導山城 | 18481-02 | 大飯郡高浜町宮崎 | 若狭武田氏の重臣の逸見氏の本城で、永禄4年の叛乱では松永軍と共に8千の兵でこの城に籠った。 | |
高浜城 | 18481-03 | 大飯郡高浜町事代 | 永禄4年の叛乱で砕導山城落城後も逸見氏は勢力を保ち、永禄8年には高浜城を築城し居城とした。 | |
熊川城 | 18501-01 | 三方上中郡若狭町熊川 | 元亀元年(1570)越前攻めのため織田信長が若狭入りした第一夜をこの城で過ごした。 | |
城 | 18-0 | 市 | 。 |
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城郭名 | No | 所在地 | 概 歴 | 遺存度 |
甲府城 | 19201-01 | 甲府市丸の内1丁目 | 豊臣秀吉が、関東移封後の徳川家康に対する抑えの城として、東国には珍しい総石垣造りに改修。 | |
躑躅ヶ崎館 | 19201-02 | 甲府市古府中町 | 甲斐武田氏三代の居館で、戦国の世にあってもこの平城を本拠としていた。人は石垣、人は城。 | |
要害山城 | 19201-03 | 甲府市上積翆寺町 | 躑躅ヶ崎館北東2.5kmの尾根先端の丸山に築かれた詰め城である。技巧的な虎口が見所である。 | |
熊城 | 19201-04 | 甲府市上積翠寺町 | 要害山城の南東方面を防御する支城と考えられる。畝状竪堀や堀切が素晴らしい。 | |
新府城 | 19207-01 | 韮崎市中田町中条字城山 | 甲斐武田氏の最後の当主・勝頼が天正9年に甲斐防衛のために新たに築いた大規模な城館である。 | |
武田信義館 | 19207-02 | 韮崎市神山町武田 | 甲斐源氏清光の次男太郎信義が武田の荘を分知され、武田の荘に構えた居館が武田信義館である。 | |
白山城 | 19207-03 | 韮崎市神山町鍋山 | 武田信義館の詰め城と伝わるが、残る遺構は天正壬午の乱の際に修築されたものとされる。 | |
能見城 | 19207-04 | 韮崎市穴山町夏目市 | 新府城の北を守る防塁を統括する城であったが、改変で遺構か否か分からない状態になっている。 | |
若神子城 | 19403-01 | 北杜市須玉町若神子 | 新羅三郎義光の居館と伝わるが定かでない。戦国期は、武田信玄が信濃進出の要地とし、天正壬午の乱では、北条氏直が信濃から南下して、この城に本陣を置き徳川と対峙した。 | |
獅子吼城 | 19403-02 | 北杜市須玉町江草字城山 | 天正壬午の乱で北条軍が占領、服部半蔵と周辺国人が奪還。和睦後、家康が信濃への繋ぎの城として石垣造りの城に改修したとされる。 | |
深草城 | 19405-01 | 北杜市長坂町大八田字南新居 | 平安末期頃、谷戸城を本拠とした甲斐源氏の祖逸見清光の嫡男光長の居館が深草城と伝わる。 | |
谷戸城 | 19406-01 | 北杜市大泉町谷戸 | 甲斐源氏の祖逸見清光が築いたとされ、戦国時代は、棒道の中継地点、また、天正壬午の乱で北条氏直が若神子城などと共に北条方の拠点とし、改修を加えている。 | |
笹尾塁 | 19407-01 | 北杜市小淵沢町下笹尾 | 武田信虎の甲斐統一において重要な役割を果たした。その後、諏訪侵攻の拠点になり、天正壬午の乱の際は、北条氏直が使用も大きな改修は受けていない。 | |
中山砦 | 19408-01 | 北杜市白州町横手 | 武川衆が護った甲斐国の北の要の城で、天正壬午の乱では、武川衆諸士は徳川氏に帰属し活躍した。 | |
武田の聖地を訪ねて | ||||
天目山栖雲寺 | 甲州市大和町木賊122 | 武田家の「軍旗」と「軍配」が残されている。 | ||
天童山景徳院 | 甲州市大和町田野389 | 徳川家康が武田勝頼の死を弔うため建立し、勝頼父子が自刃した生害石や墓などがある。 | ||
菅田天神社 | 甲州市塩山上於曽1054 | 武田家代々の家督のしるしであった国宝「小桜韋威鎧」(またの名「楯無鎧」)が保管されている。 | ||
乾徳山恵林寺 | 甲州市塩山小屋敷滑沢2280 | 武田信玄の菩提寺で、勝頼自刃後に織田信長に焼打ちされ、その時、快川国師は「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」と云い残し、火に包まれた。再建は家康が行った。 | ||
裂石山雲峰寺 | 甲州市塩山上萩原2678 | 武田勝頼が天目山において自刃したとき、家臣に託した武田家の家宝である日本最古の「日の丸の御旗」や「孫子の旗」をはじめ戦場で用いられた軍旗などを保管している。 | ||
武田信玄公御墓所 | 甲府市岩窪町246 | 天正元年(1573)4月12日信州伊那駒場の陣中で53歳で急逝した武田信玄は、自らの死を3年間秘密にするよう遺言し、土屋右衛門邸で密かに荼毘に附され埋葬された。その場所がここである。 |
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城郭名 | No | 所在地 | 概 歴 | 遺存度 |
北信 | ||||
山口城 | 20213-01 | 飯山市旭字城平 | 山口を含む南条地域を本領としていた岩井氏の居城と伝えられている。 | |
大倉崎館 | 20213-02 | 飯山市常盤 | 千曲川の河岸段丘上に築かれた単郭方形の典型的な中世(鎌倉〜室町時代)の豪族の居館跡である。 | |
飯山城 | 20213-03 | 飯山市飯山 | 武田信玄の北信濃侵入に対し、永禄7年(1564)頃に上杉謙信が防備のため大々的に改修を行った。 | |
高梨氏館 | 20211-01 | 中野市小館1069-4 | 高梨氏が永正年間(1504〜21)に築造したとの説が有力な単郭方形の居館跡である。 | |
替佐城 | 20211-02 | 中野市豊津替佐 | 永禄7年(1564)頃、北信濃の制圧を目指す甲斐の武田信玄が前進基地として築いた。 | |
壁田城 | 20211-03 | 中野市壁田 | 上杉氏にとって飯山城の重要な出城であったが、寝返りにより武田方の持ち城となった。 | |
雁田城 | 20541-01 | 上高井郡小布施町雁田 | この地を領した武田氏、武田氏滅亡後は上杉氏により改修が重ねられ、今日の姿になったと推定。 | |
大倉城 | 20201-01 | 長野市豊野町大倉 | 永禄年間(1558〜70)武田氏の善光寺平支配が進み、島津氏は越後に奔り、城は荒廃した。 | |
若槻山城 | 20201-02 | 長野市浅川西条 | 善光寺平が武田・上杉の抗争の場となり、永禄年間(1558〜69)武田方に攻められ、若槻氏は越後に逃れた。 | |
若槻里城 | 20201-03 | 長野市大字若槻団地三番地 | − | |
堂沢出城 | 20201-04 | 長野市若槻東条 | 武田信玄と上杉謙信が奪い合いをした若槻山城の出城と推測されている。 | |
大峰城 | 20201-05 | 長野市長野大峰山 | 大峰某の居城であったと云われる。川中島合戦に際しては上杉方の城砦の一つとして利用された。 | |
横山城 | 20201-06 | 長野市箱清水1丁目 | 永禄4年(1561)第4次川中島合戦では、上杉軍がここ横山城へ集結して撤退したとされる。 | |
霞城 | 20201-07 | 長野市松代町大室 | 大室氏が城主で、天正10年(1582)森長可から知行を安堵され、その後、上杉景勝に属して在城した。 | |
松代城 | 20201-08 | 長野市松代町松代 | 元和8年(1622)信州上田より真田信之が10万石を領して入封し、明治まで続いた。 | |
真田信之館 | 20201-09 | 長野市松代町柴38 | 明暦3年(1657)真田信之が隠居し、隠居館を構えた。死後、大鋒寺と墓所が置かれた。 | − |
荒砥城 | 20218-01 | 千曲市上山田温泉 | 村上義清に属していた城主の屋代政国が武田に寝返り、義清が越後へ逃れるきっかけとなった。 | |
和合城 | 20521-01 | 埴科郡坂城町南条字岩鼻 | 村上氏連珠砦の一つとされる。関ケ原合戦では森忠政が兵を入れ上田城の真田昌幸へ備えた。 | |
葛尾城 | 20521-02 | 埴科郡坂城町坂城 | 村上氏の本城である。荒砥城主の屋代政国が武田に寝返り、義清は越後へ逃れ、葛尾城は自落した。 | |
姫城 | 20521-03 | 埴科郡坂城町坂城 | 村上氏の本城である葛尾城の出城とさる。 | |
川中島合戦の地を訪ねて | ||||
東信 | ||||
室賀城 | 20203-01 | 上田市上室賀字下洞山 | 国人室賀氏が築いた山城。室賀正武が上田城内で真田昌幸に謀殺され、一族は離散、廃城になった。 | |
岡城 | 20203-02 | 上田市岡字城 | 甲斐武田氏が北信濃への前線基地として築いた崖端城。武田流の丸馬出の痕跡が残る。 | |
塩田城 | 20203-03 | 上田市前山 | 鎌倉幕府執権・北条時宗の連署人・北条義政の隠居館で、村上義清、武田晴信、真田昌幸が支配した。 | |
上田城 | 20203-04 | 上田市二ノ丸 | 上田城は、天正11年(1583)真田昌幸が尼ヶ淵の断崖上に築いた。この城で天正13年(1585)と慶長5年(1600)の二度に亘り徳川軍を迎え撃ち撃退したが、関ヶ原の本戦で西軍が敗れたため、上田城は破脚され、昌幸の長男で上州沼田城主の信之に与えられた。元和元年(1616)信之は幕府の命で沼田から上田城に移り、三の丸に陣屋を構え居館とした。これが藩主屋敷である。 | |
上田藩主屋敷 | 20203-05 | 上田市大手1丁目4-32 | ||
戸石城 | 20203-06 | 上田市上野字伊勢山 | 本城を中心に北に枡形城、南に戸石城、南西に米山城を配した連郭式山城で、これらを総称して戸石城と呼ぶ。真田氏が上田地方の掌握のため築城したとされ、天文10年(1541)村上義清が武田信虎、諏訪頼重らと海野棟綱・真田幸隆らを上州へと追いやり、以後、義清は戸石城を小県・佐久方面の鎮城、北信濃への関門とした。その後、武田晴信麾下となった幸隆が天文20年(1551)戸石城を攻略し、その後は武田氏の属城となり、天正10年(1582)の武田氏滅亡により真田氏の持ち城となった。 | |
戸石本城 | 20203-07 | 上田市上野字伊勢山 | ||
戸石枡形城 | 20203-08 | 上田市上野字伊勢山 | ||
戸石内小屋 | 20203-09 | 上田市上野字伊勢山 | ||
真田氏居館 | 20345-01 | 上田市真田町本原字御屋敷 | 真田氏の上田築城以前の居館と云われる。中世豪族の居館の形態がほぼ完存している。 | |
真田本城 | 20345-02 | 上田市真田町長字十林寺 | 規模や位置関係から上田築城以前の真田氏の本城であったと推定されている。 | |
松尾古城 | 20345-03 | 上田市真田町横沢字日向 | 天文20年(1551)戸石城を攻略し、旧領を回復した真田幸隆が居館守備の城砦へ改修したとされる。 | |
女神岳城 | 20203-10 | 上田市野倉字女神岳 | 慶長5年(1600)斎藤源左衛門が一揆を起こして女神岳城に拠り、真田氏に抵抗したとされる。 | |
武石中山城 | 20346-01 | 上田市武石小沢根 | 豪族・大井氏が築いた城で、天文14年(1545)に武田晴信に攻められ落城し、晴信に従った。 | |
黒丸城 | 20349-01 | 小県郡青木村当郷字寺村 | 連郭式山城で、宝永郡繪図に朝倉但馬守城と載せられているが、詳細は不明である。 | |
西城 | 20349-02 | 小県郡青木村田沢 | 当城の史料や伝承はなく、詳細は不明であが、遺構から多大な労力の投入が想像される山城である。 | |
寺山の砦 | 20349-03 | 小県郡青木村松寺山 | 同じ尾根上にある西城の南東尾根を守る出砦と考えられ、同一勢力による築城と考えられる。 | |
長窪城 | 20342-01 | 小県郡長和町長久保 | 大井氏または芦田氏(依田氏)の築城で、のち武田氏の城となり、北信、東進侵攻の前進基地となった。 | |
和田中山城 | 20347-01 | 小県郡長和町大門字岩井中山 | 西側に和田城があり、和田城主・大井氏の属城と推測され、天文12年(1543)武田晴信が攻め落した。 | |
望月城 | 20322-01 | 佐久市望月 | 戦国時代の望月氏の居城で、天正壬後の乱において徳川方の春日城主・依田信蕃に攻略された。 | |
天神城 | 20322-02 | 佐久市協和字本城 | 望月氏の望月城の前代における居城で、鎌倉時代に創築されたと云われる。 | |
式部城 | 20322-03 | 佐久市布施字式部城山 | 城歴ははっきりしていない。背後の四重堀切が見応え十分である。 | |
春日城 | 20322-04 | 佐久市春日字憧法寺 | 春日氏の居城で、徳川家康の関東移封に従い上野に移ったため、城は廃城になった。大堀切が見事。 | |
矢嶋城 | 20325-01 | 佐久市矢嶋字城平 | 望月一族の矢島氏の居城。矢嶋氏は武田氏、同氏滅亡後は徳川氏に従った。耕作等で改変が著しい。 | |
日向城 | 20217-01 | 佐久市根岸字長坂 | 武田信玄・勝頼の二代に仕えた甲斐長坂出身の長坂釣閑斎光堅の居城と伝わる。大堀切が見事。 | |
宝生寺砦 | 20217-02 | 佐久市伴野字下平 | 前山城の北を守る出城として伴野氏が築いたと云われるが、詳細は不明でる。 | |
前山城 | 20217-03 | 佐久市前山字城山 | 大井城主大井氏との抗争の中で、伴野氏が詰めの城として前山城を築き、ここに本拠を移した。 | |
伴野館 | 20217-04 | 佐久市野沢字居屋敷 | 伴野庄の地頭となった小笠原時長が伴野氏を称し、伴野城を築いて本拠とした。 | |
荒城 | 20217-05 | 佐久市前山字洞源 | 前山城の支城の一つで、伴野城主・伴野貞祥の祖父・貞祥寺開山節香徳忠の父光利の隠居城と云う。 | |
医王寺城 | 20301-01 | 佐久市臼田字医王寺山 | 村上顕国が子の顕胤に医王寺城を築かせ、佐久地方の押えとし、また、武田氏への備えとした。 | |
湯原城 | 20301-02 | 佐久市湯原 | 湯原氏が築城したと推測されている。その後、相木系依田氏が攻略したとされる。 |
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雁峰城 | 20301-03 | 佐久市中小田切字久保小屋 | 小田切氏の居城で、武田の侵攻により北信濃へ落ち、抵抗を続けたが葛山城で討死したと云う。 | |
入沢城 | 20301-04 | 佐久市入澤 | 平賀又三郎が入沢氏を称し知行、戦国期は大井氏が城主となり、天正年間に武田氏が攻略した。 | |
龍岡城 | 20301-05 | 佐久市田口 | 松平乗謨が幕末に築いた日本に2つしかない五つの稜が星形に突き出た洋式城郭である。 | |
田口城 | 20301-06 | 佐久市田口 | 佐久南部の有力な豪族でった田口氏が築城した巨大な山城で、天文年間に武田氏の攻撃で落城した。 | |
平賀城 | 20217-06 | 佐久市平賀字城平 | 佐久南部の有力な豪族の平賀氏代々の居城である。平賀氏は文安3年(1446)に大井氏に滅ぼされた。 | |
内堀城 | 20217-07 | 佐久市平賀字月崎 | 史料に内堀源太左衛門の居城とあるが詳細は不明。内山城の支城とされる小規模な城砦である。 | |
内山城 | 20217-08 | 佐久市山内字城下 | 内山の地は平賀氏から大井氏の手に移り、天正年間に大井美作入道玄岑が内山城を築いたとされる。 | |
五本松城 | 20217-09 | 佐久市志賀字香坂入 | 史料により「志賀城の物見」、「狼煙台」などと記されるが、残された遺構は本格的な山城である。 |
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志賀城 | 20217-10 | 佐久市志賀字城 | 戦国時代には笠原清繁が在城していた。天文年間に武田氏の攻撃で落城し、清繁は討死した。 | |
八反田城 | 20217-11 | 佐久市瀬戸字八反田 | 天正の頃に上原筑前が居城していたとされているが、詳細は不明である。 | |
岩村田城 | 20217-12 | 佐久市岩村田字上の城 | 城主格に昇格した内藤氏が文久元年に築城を始めたが、完成することなく明治を迎え廃城になった。 | |
大井城 | 20217-13 | 佐久市岩村田字古城 | 佐久東部の有力な豪族の大井宗家の本拠地であったが、文明16年村上氏に攻められ落城した。 | |
平尾城 | 20217-14 | 佐久市上平尾字城 | 宝徳・享徳年間、依田為泰が平尾に移り平尾氏を称して白岩城に居住し、詰め城として当城を築いた。 | |
鷺林城 | 20217-15 | 佐久市常田 | 在地土豪層の砦でと推測され、天文18年には武田晴信が平原城攻めの本陣を置いている。 | |
駒形城 | 20217-16 | 佐久市塚原字新城 | 文明18年に耳取大井氏の耳取城主・大井政継によって再興された重文の駒形神社が鎮座している。 | |
落合城 | 20217-17 | 佐久市鳴瀬字落合 | 落合五郎兼行が支配した所とされるが、落合氏が北信濃にさると、大井氏が領するところとなった。 | − |
岩尾城 | 20217-18 | 佐久市鳴瀬字岩尾 | 天正11年徳田家康麾下の依田信蕃が岩尾城攻めで、弟・信幸と共に討死したが、その後降伏開城した。 | |
今井城 | 20217-19 | 佐久市鳴瀬字今井 | 今井四郎兼平の居城とする説があるが、現在に残る縄張りは、大井氏関連の崖淵城と考えられる。 | |
蟻城西城 | 20308-01 | 南佐久郡佐久穂町穂積 | 蟻城西城の規模や造り、南城との距離からその出城と推測されている。 | |
蟻城北城 | 20308-02 | 南佐久郡佐久穂町穂積 | 蟻城南城を頂点に馬蹄形の北側支尾根の先端に位置するが、南城や西城と異なり居住性が高い。 | |
蟻城南城 | 20308-03 | 南佐久郡佐久穂町穂積 | 残存する遺構は、徳川家康と北条氏直が争った天正壬後の乱の際に改築があたと考えられている。 | |
小諸城 | 20208-01 | 小諸市丁311 | 武田晴信が山本勘助と馬場信房に命じ、鍋蓋城と乙女城を取り込んで築かせた大城塞である。 | |
手代塚城 | 20208-02 | 小諸市丙字両神 | 小諸城と同じく城が城下より低い所にある所謂「穴城」である。 | |
中信 | ||||
こや城 | 20220-01 | 安曇野市明科中川手字こや | 小県郡の海野氏の一族で鎌倉初期に筑摩郡に進出した塔ノ原氏の本城・塔ノ原城の支砦とされる。 | |
塔ノ原城 | 20220-02 | 安曇野市明科中川手字城山 | 鎌倉時代の中頃に塔ノ原氏が本城として築き、武田氏の松本平侵攻で天文22年(1552)に自落した。 | |
光城 | 20220-03 |
安曇野市豊科光 | 海野氏の一族、光之六郎幸元が戦国初期に築き、武田氏の松本平侵攻で天文22年(1552)に落城した。 | |
鷹巣根城 | 20202-01 | 松本市(四賀村)刈谷原町 | 海野(刈谷原)五郎幸棟が刈谷原を分知され築城。その後、小笠原氏家臣の太田資忠が在城、武田氏の松本平侵攻の際に落城した。 | |
荒神尾城 | 20202-02 | 松本市(四賀村)七嵐 | 武田氏の松本平侵攻で天文22年(1552)武田信玄が攻略したと云われるが、詳細は不明である。 | |
稲倉城 | 20202-03 | 松本市稲倉 | 小笠原氏の一族、赤沢氏が築城。天文19年(1550)武田氏が松本平侵攻した際、武田氏に降り、小笠原方の伊深城を攻略したと云われる。 | |
伊深城 | 20202-04 | 松本市岡田伊深 | 室町期にこの地を領した伊深氏・後庁氏の築城と考えられ、戦国期には赤沢氏の属城となり天文19年(1550)武田氏が松本平侵攻した際に降伏し自落した。 | |
平瀬城 | 20202-05 | 松本市島内下平瀬 | 小笠原氏家臣の平瀬氏が城主。天文19年(1550)小笠原長時が林城を捨て当城に撤退し、その後、村上義清を頼り葛尾城に落ちた。翌年、義清の援助で、当城を奪還も、再び落城、平瀬義兼は自刃した。 | |
平瀬山北の城 | 20202-06 | 松本市島内字下平瀬 | 平瀬城の背後の防御を固めるため築かれたと考えられるが、築城主・時期は不明である。 | |
早落城 | 20202-07 | 松本市洞 | 赤沢氏の持城であったが、小笠原氏が落城させ、伊深城主の後庁氏に与えた。天文19年(1550)に武田氏に呼応して赤沢氏がいち早く攻め落とし、家臣の林氏を入れ守らせた。 | |
横矢入城 | 20202-08 | 松本市浅間温泉 | 赤沢氏の持城で稲倉城の物見城とも呼ばれ、天文年間(1532〜55)には浅間孫太郎が守っていたが、武田氏により落城、破却されたとされてる。 | |
犬甘城 | 20202-09 | 松本市島内 | 国衙の在庁官人であった犬甘氏の築城と云われるが、詳細は不明。天文19年(1550)武田氏家臣の馬場信房が攻略したと伝わる。 | |
松本城 | 20202-10 | 松本市丸の内 | 林城の支城として築かれた深志城が前身で、武田氏の支配の後、徳川配下となった小笠原貞義が旧領を回復し、松本城に改名。天正18年(1590)徳川の関東移封で、石川数正が入城し、親子二代で現在に至る城郭を整備した。 | |
桐原城 | 20202-11 | 松本市入山辺桐原 | 天文19年(1550)武田晴信の松本平に侵攻で桐原城は自落した。石垣や竪堀が素晴らしい。 | |
山家城 | 20202-12 | 松本市入山辺字中入 | 天文19年(1550)城主 山辺氏は武田氏に降り、天正10年(1582)武田氏滅亡後は消息不明。石垣や堀切が素晴らしい。 | |
宮原城 | 20202-13 | 松本市入山辺宮原 | 山家城主折野山辺氏の支城とされる。三重堀切が素晴らしい。 | |
水番城 | 20202-14 | 松本市入山辺南方 | 信濃守護小笠原氏の本城 林大城の水の手を守る為の出城または砦とされる。背後の竪堀が見所。 | |
林大城 | 20202-15 | 松本市里山辺字日向山 | 信濃守護小笠原氏の本城。天文19年(1550)武田晴信の松本平に侵攻で自落した。郭は広く、居館的要素も備える。 | |
林小城 | 20202-16 | 松本市里山辺字日向上 | 信濃守護小笠原氏の本城 林大城の支城群の一つ。主郭周囲に畝状竪堀が見られる。 | |
埴原城 | 20202-17 | 松本市中山字町村 | 天文19年(1550)武田晴信が松本平に侵攻し落としたイヌイの城が埴原城とされる。主郭が二つの郭なり、見事な二段石垣が残る。 | |
八間長者城 | 20202-18 | 松本市北内田 崖の湯 | 小笠原氏の松本平防衛の城砦群の一つになったと推測。その後、武田氏の持ち城になったと見られている。細尾根を隔て山城部と丘城部が設けられている。長大な竪堀が見られる。 | |
飯縄城 | 20215-01 | 塩尻市塩尻町上西条 | 飯縄・嵐・西條の三城は同じ尾根筋にあり、一体となって機能し、小笠原氏の在地支配を担った。 | |
嵐城 | 20215-02 | 塩尻市塩尻町上西条赤嵐 | 単郭の砦で、三城の中間に位置し、繋ぎの役割を担った。 | |
西條城 | 20215-03 | 塩尻市塩尻町下西条 | 単郭の砦である。高所にあり見透しがよく塩尻一帯を一望できる。 | |
上田城 | 20215-04 | 塩尻市北小野上田 | 。 | |
武居城 | 20451-01 | 東筑摩郡朝日村西洗馬 | 国人領主三村氏の当初の居城で、妙義山城に移ったのちも改修を加え、現在の遺構は戦国最末期の山城の実態をよく伝えている。 | |
南信 | ||||
高島城 | 20206-01 | 諏訪市高島 | 「水城」で、松江城(出雲国)や膳所城(近江国)と並ぶ「三大湖城」のひとつとされている。 | |
桑原城 | 20206-02 | 諏訪市四賀 | 武田氏の諏訪侵攻を前に諏訪氏惣領の頼重が上原城を脱出し最後に籠った城。 | |
有賀城 | 20206-03 | 諏訪市豊田有賀 | 諏訪氏の支族である有賀氏の居城で、有賀氏は武田・高遠勢に与し惣領家を攻めている。 | |
南真志野城 | 20206-04 | 諏訪市湖南南真志野 | 諏訪家内訌の際に惣領家方の有力武将である矢嶋氏が築いた。矢嶋氏も武田・高遠勢に与した。 | |
大熊城 | 20206-05 | 諏訪市湖南大熊 | 千野氏の居城と伝えられ、武田氏に攻められ落城。武田氏滅亡後は諏訪氏再興の中心となった。 | |
朝倉山城 | 20214-01 | 茅野市米沢 | 小県・佐久・川中島方面への要路である大門峠を見張るため、武田氏が狼煙台として使ったという。眼前に八ヶ岳連峰の絶景が見られる。 | |
湯川城 | 20214-02 | 茅野市北川 | 武田氏の佐久方面への侵攻や川中島出兵等の拠点として築かれた云われる。 | |
上原城 | 20214-03 | 茅野市ちの | 諏訪惣領家の本拠地として築かれた。諏訪惣領家の滅亡後は武田氏の信濃支配の拠点となった。諏訪盆地を一望できる。 | |
鬼場城 | 20214-04 | 茅野市米沢埴原田 | 諏訪氏支族の矢ヶ崎氏(矢崎氏)の居城。齢松山城から鬼場城に本拠を移したと云われる。 | |
干沢城 | 20214-05 | 茅野市宮川安国寺 | 諏訪氏大祝家の山城。上社の政祭支配権を掌握しようと惣領父子を殺害し、惣領家家臣の反撃を受け干沢城に逃げ込んだが、敗れ高遠に逃れた。 | |
茅野城 | 20214-06 | 茅野市宮川西茅野 | 諏訪氏の重臣として活躍した千野氏の当初の本拠。文明の内訌時には、大熊城を居城としていた。 | |
山吹大城 | 20361-01 | 諏訪郡下諏訪町東町中 | 諏訪大社下社の大祝の金刺氏によって築かれた詰城で、前方に小城が構えられている。 | |
山吹小城 | 20361-02 | 諏訪郡下諏訪町東町中 | 金刺氏の詰城である大城の前方に構えられたのがこの城である。 | |
桜城 | 20361-03 | 諏訪郡下諏訪町小湯の上 | 金刺氏が築いたと云われ、霞ヶ城に対する本城と思われ、さらに詰城である山吹城がある。 | |
霞ヶ城 | 20361-04 | 諏訪郡下諏訪町上久保 | 諏訪大社下社の神官を代々務める一族 金刺氏の居館である。 | − |
龍ヶ崎城 | 20382-01 | 上伊那郡辰野町伊那富 | 天文14年武田信玄が福与城を攻めた時、信濃守護小笠原長時がこの城に布陣した。 | |
羽場城 | 20382-02 | 上伊那郡辰野町伊那富 | 信濃守護小笠原貞宗の四男 重次郎が羽場に入部し築城した。 | |
上ノ平城 | 20383-01 | 上伊那郡箕輪町東箕輪 | 源為公が築城し、承久の乱後に廃城。発掘調査では戦国時代の遺構・遺物も確認。 | |
箕輪城 | 20383-02 | 上伊那郡箕輪町中箕輪字木下 | 室町初期、木曾氏末流 箕輪氏が築城。後、福与城主、武田氏、織田氏と城主は変遷。 | |
福与城 | 20383-03 | 上伊那郡箕輪町福与字南城 | 天文頃は藤沢頼親が城主。武田氏に敗れ流浪。同氏滅亡後、田中城築城、決起も保科正直に攻められ自刃した。 | |
野口城 | 20209-01 | 伊那市手良野口東松 | 尾根伝いに福与城に至ることから、その支城と云われる。 | |
蟻塚城 | 20209-02 | 伊那市美篶笠原 | 諏訪氏一族の笠原氏が築城したと考えられている。 | |
守屋山城 | 20209-03 | 伊那市美篶笠原 | 蟻塚城の「詰めの城」とされ、笠原氏の築城と考えられる。遺構は、武田氏や保科氏が改修によるもの。 | |
的場城 | 20209-04 | 伊那市高遠町的場字城山 | 南側の高遠城とともに杖突街道を押さえ、さらに同城の北方を護る城砦と推測される。 | |
高遠城 | 20209-05 | 伊那市高遠町東高遠 | 武田氏の伊那谷支配の拠点として、山本勘助、秋山信友が拡張改修を行なった。 | |
山田城 | 20209-06 | 伊那市高遠町下山田 | 山田新左衛門の時、伊那衆とともに武田に謀反、討死。子の弥介は最後まで武田氏に従い殉死している。 | |
一夜の城 | 20209-07 | 伊那市富県桜井 | 織田軍の高遠城攻略で本陣を構えるため、土豪の館を接収、改修した。 | |
竹松城 | 20209-08 | 伊那市富県南福地竹松 | 竹松氏の城で、水田地帯にポツンと浮かぶ南北300m、幅約50mの台地上に築城。 | |
殿島城 | 20209-09 | 伊那市東春近中殿島 | 武田氏に最後まで抵抗し磔にされた上伊那八人衆の一人殿島大和守が築城した。 | |
小出城 | 20209-10 | 伊那市西春近近城 | 鎌倉時代後期に小井弖(こいで)氏によって築かれたと云われる。 | |
春日城 | 20209-11 | 伊那市西町 | 伊那部大和守重慶が築いた。在名を氏としたが、本姓は春日で春日城と呼ばれた。 | |
城 |
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城郭名 | No | 所在地 | 概 歴 | 遺存度 |
城 | 26104-01 | 市 | 。 |