伴野城 No20217-04 | (ばんのじょう) |
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北面と東面の土塁 | 南側の水堀と土橋 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : 伴野館、野沢館 |
所在地 : 佐久市野沢110 |
築城年 : 鎌倉時代初期 |
形 式 : 平城 |
遺 構 : 土塁、水堀、土橋、虎口、 |
訪城日 : 平成27年4月18日 |
◆ 歴 史 |
鎌倉時代初期、伴野庄の地頭となった小笠原時長が伴野氏を称し、伴野城を築いて本拠とした。その後、戦国時代になると館を兼ねた城に増改築されたが、文明年間(1469〜87)頃、隣接する大井氏との抗争に伴い2.5km程西に前山城を築いて本拠を移した。天正10年(1582)武田氏滅亡後、伴野氏は北条氏に属したため、徳川方の芦田信蕃(後の依田信蕃)に攻められ前山城は落城、伴野信守は討死し、伴野氏は滅亡したが、伴野城は佐久地方に侵攻してきた有力氏の支配拠点などとして利用され、江戸時代には官庫、陣屋、藩出張所などとして存続した。 |
◆ 構造と感想 |
高く分厚い土塁が北と西、東面の北半分を取り巻き、その外側に水堀が現在は水路となって廻っている。南面には水堀を渡る土橋が復元されている。 現況は、南西隅の土塁上には大伴神社が鎮座し、他は公園として整備され、土塁には桜が植えられ、休憩所やトイレも設置されている。 なお、公園東側にある成田山の山門は龍岡城の移築門のようです。 |
◆ 道 案 内 |
中部横断道の佐久南インターを降りた佐久南I.C入口交差点を左折し国道142号に入る。国道142号を東に1.6km程走った跡部交差点を直進し国道254号に入る。国道254号を1.1km程走ると野沢本町交差点に至り、国道は左に曲がるが直進し県道120号線に入る。県道120号線を200m程入った3本目の路地へ左折し、路地を150m程東進した左手が城跡の「城山公園」である。大伴神社付近の余白に駐車可。 |
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![]() ![]() 郭内の南西方向 東側の堀跡と土塁 |