宮原城  No20202−13 (みやはらじょう)       

主郭南西方向 主郭背後の三重堀切

城郭の概要                  
別  名 : 要害城
所在地 : 松本市入山辺宮原
築城年 : 不明
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、石積み、
訪城日 : 平成24年10月19日

歴   史
薄川を挟んで山家城の南西1.5kmにあり、山家城主折野山辺氏の支城とされている。
長野県町村誌に「山辺薩摩守昌治、築城と云う。年歴詳ならず。」播州姫路より来住した折野薩摩守昌治は後に山辺氏に改名し、山家城主となった人物がこの城を築いたとある。
折野山辺(山家)氏は、昌治の後、越前守昌寛、源十郎昌実、藤九郎昌矩と続き、天文19年(1550年)武田晴信が小笠原長時を林大城に攻めると、昌矩は小笠原氏を見限り武田氏に降った。以後、武田氏に従い、永禄4年(1561)の川中島合戦で戦功を賞されている。
しかし、天正3年(1575)長篠の合戦で討死し、武田氏滅亡後は山辺氏の消息も不明である。

構造と感想
宮原城は、山家城から薄川を挟み西南西1.5km程の位置にあり、薄川の南岸へ向け南西から北東へと張り出した尾根の中腹 標高890m、比高120mに築かれている。
主郭は、傾斜がやや緩くなった尾根の中腹に構えられ、背後となる南側に土塁を付帯させ、三重堀切と25m程離れた一条の堀切で遮断を図っている。主郭の西面以外の側面には、人頭大の石が散乱しており、石積みが築かれていたと思われる。
主郭から尾根は北北東へと降り、主郭の北側も堀切で区画し、その下方に二段の小郭が設けられ、また堀切が入っている。その下方にも段郭が続き、麓近くには階段状の広い平坦地が残る。城に関係するかは不明である。
小規模ではあるが、尾根の側面は急斜面で、堀切も上巾10m程あり、護りは固い。

道 案 内
松本城の南東6.6km程に位置している。
松本城の東200m程の所にある国道143号の城東二丁目交差点を東へと県道67号線に入る。1.4km程東進した惣社交差点のY字路を右手に進み、さらに県道67号線を2.5km程道なりに走ると右手に入山辺郵便局がある。そこから1.2km程先に美ヶ原高原口バス停があり、そこのY字路を右手に進む。さらに850m程行くと包石バス停があり、その先280m程進んだT字路で右折、直ぐに薄川を渡る。その先の突き当りで左折し東に300m程行くと「入山辺電話交換所」があり、そこを通り過ぎた右手に宮原城址登口の標柱がある。そこに駐車スペースがある。沢の右手の尾根上に宮原城がある。現在は、標柱に加え説明板も設置されているようである。

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登り口                  崩れた石積み

 
背後堀切の竪堀             二段の小郭