小里城  No21208−01 (おりじょう)       

天守台 天守台の穴蔵

城郭の概要                  
別  名 : 小里城山城
所在地 : 瑞浪市稲津町小里字城山
築城年 : 天文3年(1534)
形  式 : 山城
遺  構 : 天守台、石垣、虎口、井戸、
訪城日 : 平成28年11月5日

歴   史

小里城は、天文3年(1534)に土岐氏の支流である小里光忠によって築かれ、以後小里氏の居城となったと伝えられるが、天正8年(1511)生まれの光忠が22才の時に居住を小里に定めたと『小里家譜』に記されていることから、天文元年(1532)とも云われるが明らかでない。
甲斐の武田勢が弘治年間(1555〜58)頃になると東濃の土岐郡に侵攻し、光忠・光次父子は武田勢に従うこととなるが、永禄8年(1565)織田信長が東濃侵攻を本格化させ、高野口(瑞浪市)で武田勢と合戦に及ぶと、この頃から光忠・光次は信長に従うようになった。
元亀3年(1572)武田勢の秋山虎繁が東濃に侵攻し岩村城を落とすと、光忠・光次は明知城主遠山景行ら周辺の織田方諸将と岩村城奪還を試み上村で合戦に及んだが敗れ、光次が討死、家督は光久に継承された。
天正2年(1574)武田信玄の跡を継いだ勝頼が明知城・串原城を攻め落とすと、信長は小里城に池田恒興を、鶴ヶ城に河尻秀隆を置き、武田勢に対する最前線の城として改修を命じた。
天正3年(1575)長篠合戦で勝頼に大勝した信長は、直ちに嫡男信忠を総大将に岩村城を包囲し、その際 光久ら東濃諸将が岩村城への兵糧の道を断ち、岩村城の落城に導いたと伝えられる。岩村城の奪還が成ると小里城の修築も中止となった。
しかし、天正10年(1582)本能寺の変に於いて、光久は二条城で討死し、家督は光久の後見人であった叔父の小里光明が継いだ。その後、東濃は羽柴秀吉に従う金山城主森長可が支配したが、光明は織田信孝と通じ長可に叛旗を翻したが、信孝が自刃に追いやられ、光明は子の光直と共に徳川家康のもとへと逃れ、小牧・長久手合戦などにも参戦したが、光直はこの合戦で討死した。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦で、光明と孫の光親は東軍に属し戦功をあげ、土岐・恵那郡で3580石を拝領し、小里城に復帰したものの、元和9年(1623)光親の跡を継いだ光重が嗣子なく没したため、小里氏は改易となり、小里城も廃城となった。


構造と感想

<山城>
小里城は、岩村城の西約16kmに位置し、小里川の西岸に張り出した山塊の北東端 標高405mの城山山頂に築かれた山城である。北麓には御殿場跡や東砦跡が残っている。
構造は、山頂に本丸を置き、その中央には天守台(枡形)と呼ばれる不等辺多角形の石垣があり、その周辺には岩が散乱しており、一部には矢穴痕が見られる。この主郭の状態は改修工事が途中で中止された様子が窺えるが、天守台の石垣は崩れはなく見事な姿を見せている。
しかし、天守台は後世の改修を受けており、築かれた時期や目的は不明のようであるが、穴蔵を持ち、多角形をしている天守台は、織田信長が築いた安土城の天守台を彷彿とさせ、興味深い。
主郭の周囲には帯郭が廻り、北東下方には4、5段の腰郭が、北西には本丸に次いで広い二の丸(腰郭)が設けられている。二の丸は、大手道を守る大手郭でもあり、東側を除く三方は石垣で固められている。大手道は大岩の間を抜けたり、長い一騎掛けを通ったりしている。尾根続きの南側が搦手で、鞍部に堀切が入っているようである。
<御殿場>
山麓の城主館跡は広い3段の平坦地からなり、最上段の中央に石段を上がり平入りで入る大手門が設けられ、その左右には見事な石垣が残っている。この段が城主の御殿が建っていた場所で、御殿跡の碑が建てられ、石組み水路や井戸、礎石などが残っている。


道 案 内
中央道高速の瑞浪インターを降りてJR中央線の跨線橋を越えて二つ目の信号(薬師交差点)で左折し国道19号に入る。国道19号を中津川方面に3.4km程行った小里川を越えてすぐの市原交差点を右折し県道20号線に入る。県道号線を道なりに1.8km程先に行った下小里交差点で右折し、その先320m程の小里交差点で左折する。そのまま県道20号線を1.9km程進むと道沿いの右手に小里城登城口という看板がある。ここより居館跡を通り山道を登ると山頂の城跡に至る。

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      北              登り口

 
大手門                井戸

 
城主館跡             東砦跡

 
城道の岩門跡         城道の一騎駆け

 
  二の丸              二の丸西側の石垣

 
二の丸西側の石垣           本丸の東郭

 
天守台         本丸南東隅の石垣