明智城  No21210−01 (あけちじょう)       

本丸の東方向 出丸の石垣

城郭の概要                  
別  名 : 白鷹城
所在地 : 恵那市明智町城山1318-1 
築城年 : 宝治元年(1247)
形  式 : 平山城
遺  構 : 土塁、土橋、堀切、空堀、竪堀、石垣、虎口、
訪城日 : 平成28年11月5日

歴   史
宝治元年(1247)源頼朝の重臣・加藤景廉の子で岩村遠山氏を起こした遠山景朝の子である景重が築城したとされる。景重は明智遠山氏の始祖とされ、明智城は明知遠山氏累代の居城となった。
戦国時代には恵那郡一帯に勢力を誇り、遠山七家(遠山七頭)と称され、惣領家岩村城主・遠山景任、苗木城主・遠山友勝と共に明知城主・遠山景行は三遠山家(遠山三頭)と呼ばれ一族の中で重きをなしていた。
しかし、恵那郡遠山荘は信濃、三河両国と美濃国中西部との境目に位置し、永禄〜天正年間には美濃攻略を狙う武田氏と織田氏による争奪戦が繰り広げられることになる。
永禄3年(1560)織田信長は、武田氏に従っていた景任に叔母を嫁がせ、苗木城主・遠山勘太郎には妹を嫁がせて、遠山氏を味方に引き入れた。
元亀3年(1572)11月信玄は高遠城城主・秋山虎繁に岩村城を攻略させ、12月には岩村城奪還を目指す明知城城主・遠山景行、苗木城城主・遠山勘太郎、飯羽間や串原、足助の織田方諸将を上村合戦で撃退した。この合戦に於いて明智城は落城し、岩村城とともに武田方の持城となった。
天正3年(1575)5月信長は、信玄の跡を継いだ勝頼を長篠合戦で討ち破り、続いて嫡男・信忠をして岩村城を攻めさせた。この際、明智遠山氏を継いでいた利景(景行の長子景玄の弟)が小里城を落とし、明知城に帰還を果たした。
しかし、天正10年(1582)本能寺の変後、羽柴秀吉に付いた森長可が苗木城主・遠山友忠を追い東濃を制圧、これを見て利景は徳川家康を頼り三河足助城へと逃れた。小牧・長久手の戦いに於いて利景は明知城を奪回したものの、和睦により森氏に返還されてしまい、遠山利景・一行父子は家康の元に従った。
慶長5年(1600)西軍に付いた岩村城主・田丸氏の支城であった明知城を利景が攻略し、これにより利景は慶長8年(1603)6,530石を領して復帰、明知城西麓に陣屋を設け交代寄合として明治まで続くが、明智城は元和元年(1615)の一国一城令によって廃城とされた。

構造と感想
恵那郡明知は、北は岩村・恵那、東は信濃国飯田、西は土岐郡、南は三河国足助・岡崎に街道が通じる交通の要衝に位置し、明智城は明智の町の東に聳える標高530m(比高約80m)の城山山頂に築かれた平山城である。
山頂に本丸を置き、東側一段下に二の丸を配し、それらの南下から西下に腰郭を付帯させ、その腰郭の東端から南に土橋を伸ばし先端部に一段高い出丸を設け、二の丸と出丸の谷間に東の丸を構え、腰郭の西下には小さな三の丸、さらに堀切を隔て三の丸下砦を設けている。これらが明智城の主郭部を形成し、その周囲は大規模な空堀で取り囲まれ、要所には空堀から畝状竪堀も落とされ、強固な防備を誇っている。
主郭部周辺に延びる支尾根の東支尾根には二の丸東砦と搦手砦を、北支尾根には本丸北砦を、北西支尾根には大手門東砦を、西支尾根には三の丸下砦を構え、各登城口の護りを強固なものにしている。
この城の比高は小さいが、切岸は切り立ち、要所には横堀に畝状竪堀を加えて護りを固めるなど、巧みな縄張りが楽しめる城跡である。また、東の丸には大きな二区画の貯水池が完存状態で残っている。
なお、明知城は明智光秀の「誕生の城」と云われるが、城歴からは遠山氏の城であり、明智長山城(可児市瀬田)説の方が妥当と思われる。

道 案 内
中央高速道の恵那インターを下りて、恵那IC交差点で右折し県道68号線に入り、400m程先の坂の上交差点で左手に進む。引き続き県道68号線を270m程行き西神田交差点で直進し市道に入る。市道を700m程走ると神明交差点に至り、そこで右折して県道415号線に入る。県道415号を南へ340m程行くと国道19号との正家交差点に至り、そこを直進して国道257号に入る。国道257号を道なりに4.5km程行くと阿木川ダムに至り、引き続き国道257号を6.8km程進むと岩村町の一色交差点に至る。国道257号は直進するが、そこで右折して国道363号に入り、道なりに9.8km程走ると明智町中心部手前の市場町交差点に至り、そこで左折して県道33号線に入る。県道33号線を990m程行くと左側に明智学校給食センターがあり、その対面の旧道へ右折して入る。旧道の突き当りに明智城の説明板が建っており、そこが登り口である。

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空堀と竪堀の上端        三の丸下砦下の空堀

 
二の丸の切岸           東の丸の貯水池