雲林院城  No24382−01 (うじいじょう)       

主郭と北西の櫓台 主郭西側の帯郭

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 津市芸濃町雲林院城山
築城年 : 元徳3(元弘元、1331)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、櫓台、虎口、
訪城日 : 平成24年12月16日

歴   史
雲林院城は、元徳3年(元弘元年(1331))雲林院播磨守祐高によって築かれたと云われる。
雲林院氏は、長野城主二代長野祐藤の子祐高(祐尊)が分家し、雲林院氏を称したことに始まる。以後、長野氏一族の中核にあって11代続いたが、永禄年間(1558〜70)長野氏は織田信長に降って、信長の弟信包を養子に迎えたため、雲林院氏も織田氏の配下となった。
しかし、天正8年(1580)長野(織田)信包が雲林院氏の領地を奪うため、まず老臣の野呂民部少輔を謀殺し、その後、雲林院出羽守、兵部少輔父子を伊勢から追い出し、雲林院城を廃したと云われる。

構造と感想

雲林院城は、安濃川の南岸に北東に張り出した標高250mの丘陵頂部に築かれている。
頂部から尾根筋が南に伸び小ピークがある。頂部に主郭部を置き、南の小ピークに出郭を配している。北と南のピークからは支尾根が東方向に延び、それら支尾根にも幾つかの郭が構えられており、城は「コの字」形をしている。なお、北のピークからは北東方向にも支尾根が派生しており、こちらにも幾段かの郭が設けられている。
東方向の支尾根筋が大手で、先端に残存する明瞭な虎口を入ると、緩やかな斜面の下方は比較的大きい段郭が5、6段あり、傾斜が急になる上方は極小の段郭が5段程続き、主郭との間に堀切が入れられている。
主郭は、薄っすらとした土塁が廻り、北西隅が一段高く櫓台となっている。西側には帯郭が付帯し、南側は二重堀切が入れられている。その先は鞍部を経て出郭があるが、探索できていない。
しかし、出郭は三方を土塁で囲んだ「Uの字」形の郭で、要塞の様な造りが素晴らしいようだ。さらに東に細長く削平地が続き、その先に東支尾根の堀切よりも鋭く大規模な大堀切があり、南からの侵入に厳しく備えているようである。


道 案 内
登り口の地蔵堂
伊勢自動車道芸備インターを降りて左折し県道10号線(伊勢別街道)に入る。西に1.1km程行ったY字路で左手に進み県道28号線に入り、道なりに1.1km行って道は左に折れ、その160m程先で再び左折する。引き続き県道28号線を道なりに1.1km程行った安西橋北詰交差点で右折し県道42号線に入る。西に2.9km程行った清岸寺前の十字路で左折し路地に入る。道なりに120m程行くと林光寺前に至る。寺の背後の丘陵が城跡である。
寺の駐車場の奥、墓地から尾根に取り付き、すぐに地蔵が数体まつられた前を通り登って行く。

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東尾根先端の大手虎口      主郭下の東尾根堀切


主郭南西下の土塁