黒丸城  No20349-01 (くろまるじょう)       

主郭北方向 主郭北側の堀切

城郭の概要                  
別  名 : 朝倉但馬守城、日向の城
所在地 : 小県郡青木村当郷字東日向
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、堀切、竪堀、畝状竪堀、
訪城日 : 平成28年11月13日

歴   史
城歴の詳細は不明であるが、『小県郡誌』に「黒丸城は浦里村當郷區(当郷)字西に日向の城といへる山頂にあり。本郭方八間、石垣今尚現存す。南方漸次に低下すること四丁許、腰曲輪總て十階あり。東、西、南の三面は峻嶮敷丈、北は低下して飯縄山に連り、堀切二ヶ所あり。宝永郡繪図に朝倉但馬守城と載す。」とある。
この朝倉但馬守の出自は不明であるが、朝倉氏は但馬国養父郡朝倉之地を平安末期頃から本拠に、但馬一円にその勢力を広げていたようである。南北朝期の延元元年(建武3年、1336)越前北庄を預けられて黒丸館を構え居館とし、越前朝倉氏となったとされる。

構造と感想
黒丸城は、飯縄山の南西から南に延びる標高734mの細尾根上に、南方に下りながら凡そ300mにわたり階段状に築かれた連郭式の山城である。
この城は、保福寺峠を越え中信の松本(深志)方面へ通じる街道や修那羅峠や青木峠へ通じる街道を押さえる絶好の位置にあり、戦国期には戦略上の重要な拠点であった。
北端の最高所に二段からなる主郭を置き、上段の北側に土塁を築き、その上に石祠を祀っている。その北背後は尾根続きで、長大な竪堀を伴った大堀切と更に二本の堀切を入れ遮断している。
主郭の南下方に細長い二の郭を配し、主郭と同じく東下に帯郭を付帯させている。二郭の南側に大堀切を入れ、その先は10段の段郭が連なり、その先は緩やかな斜面とが続く。
東斜面は「城の沢」と呼ばれる深い沢が天然の堀となっているが、西側は傾斜が緩く、畝状竪堀や長大な竪堀を落とし防御を固めている。
主郭と二の郭は厳重な防御を施しているが、その南下方は単純に段郭を連ねるのみで、中心部との造りと明確な違いが認められる。

道 案 内
上田市街より国道143号を西進し、上田市から青木村に入る手前に川西消防署があり、その110m程先で右斜めに曲がる。500m程で国宝三重塔のある大法寺前を通り、さらに860m程進むと左手に当郷公民館がある。そこに駐車させていただき、対面の阿鳥川神社東側の道を北に200m程入った左手の土手の上に三体の道祖神がある。道祖神の左側の山中に入る道が登城路である。

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                        登り口


主郭の土塁              主郭背後の堀切


  主郭東下の帯郭        二の郭から主郭への坂土塁


背後の堀切        背後の竪


南下方の段郭          西方への眺望