吉江藩陣屋  No18207−03 (よしえはんじんや)       


城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 鯖江市吉江町
築城年 : 慶安元年(1648)
形  式 : 陣屋
遺  構 : 移築門、碑、説明板
訪城日 : 平成23年10月22日

歴   史
福井藩三代藩主・松平忠昌の三男・昌親が、正保2年(1645)に2.5万石(丹生郡30ヶ村、坂井郡10ヶ村、足羽郡4ヶ村、大野郡3ヶ村、吉田郡1ヶ村、南条郡1ヶ村)を内分知されて吉江藩が成立、慶安元年(1648)には居所を丹生郡立町郷に定め、幕府の許可を得て陣屋普請に着手し、明暦元年(1655)に初めて入部を果たした。
しかし、延宝2年(1674)福井藩四代藩主・光通が急死したため、昌親が福井藩を継ぐこととなり、吉江藩は福井藩に併合され、僅か20年で廃藩となり、家中屋敷などは福井城下に移転し、町屋のみが残った。
ところで、江戸時代前期の浄瑠璃や歌舞伎作者である近松門左衛門も3歳で父・杉江信義とともに昌親に従い吉江に入り、父の信義が吉江藩を辞したとされる寛文7年(1667)近松15才頃まで10年余を吉江の地で過ごしている。

構造と感想
城巡りの途中、浅水川右岸沿いの県道252号線を西進していて、右手に吉江藩館(陣屋)跡の石碑と説明板を見つけ立ち寄った。
吉江藩領は、越前各地に散在していたが、丹生郡と足羽郡が多くを占めていたことから、丹生郡と足羽郡の境、本藩の福井に近い、北陸道と日野川の中間で交通の要地であった「吉江」に新たに居館、侍屋敷を立て、新町・西町などの町人町を整備した。
現在、遺構は何も残っていないが、吉江陣屋の門が杉本町にある西光寺表門として移築され現存している。また、城下町を貫いた道路は、七つの鉤型に曲り「七曲り通り」と呼ばれ、一部河川改修で失ったようだが、城下町の風情をよく遺しているようだ。

道 案 内
北陸自動車道の鯖江インターを下りて右折し県道39号線に入る。県道39号線を西に620m程行った柳町交差点で右折し国道8号入り、国道8号を北に3.1km程行った御幸交差点で左折する。県道185号線に入り西に980m程行き福井鉄道福武線をくぐり、更に910m程西進した信号交差点で斜め右に右折する。県道185号線の旧道に入り、190m程西進したT字路で右折し、690m北上すると浅水川を渡る。北詰めの信号で左折し川沿いを240m程走ると右手に小公園があり、付近一帯が陣屋跡である。

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