羽場城  No20382−02 (はばじょう)       

主郭の北東方向 二郭(東側)の北方向

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 上伊那郡辰野町伊那富字羽場(手長神社)
築城年 : 天文年間
形  式 : 崖縁城
遺  構 : 土塁、堀、櫓台
訪城日 : 平成30年3月17日

歴   史
甲州源氏の小笠原氏が伊那の地頭になり、貞和年間(1345〜49)貞宗の時 松本の井川へ移って信濃守護となった。その貞宗の四男にあたる重次郎が、羽場に入部し、ここに城を築き、羽場氏を称した。
代々この地を相続していたが、弘治2年(1556)頃 武田軍の侵攻を受けて没落し、その後、武田家臣の柴河内守が城主となった。
しかし、天正10年(1582) 武田氏が織田氏に滅ぼされると、織田氏の支配下に入ったが、引き続き柴氏が城主を務め、現在に残る縄張りが完成した。織田氏没落後は高遠城主保科正之の家臣となり、寛永13年(1636)正之が出羽山形に移封となると柴氏もこれに従ったため、城は役目を終え廃城となった。

構造と感想
天竜川右岸の比高20m程の断崖上に築かれた崖縁城で、手長神社の境内地が主郭である。北を除く三方を大規模な土塁と空堀で囲繞し、この主郭を「コ」の字型の二郭が取り巻き、この二郭も土塁と空堀で囲繞されていた。しかし、二郭はJR飯田線の敷設や開墾によって東側の櫓台近辺と周りの土塁と空堀のごく一部が残存するのみとなっている。
主郭を囲繞する土塁は高さ2、3m、下幅7、8m、空堀は幅10m、深さ4、5mと十分な迫力である。

道 案 内
中央高速道伊北インタを下りて国道153号を1km程北上した羽場交差点から160m程先で東へ右折し、203号線に入る。350m程先で踏切を渡り、渡って直ぐに左折し細い道に入り120m程北上し左手に曲り行き止まりが手長神社で城跡である。

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 現地の縄張図

 
主郭東側の土塁           主郭東側の空堀

 
北側背後の断崖        主郭の南西隅部土塁

 
主郭西側土塁の上部        二郭の東南部土塁