小諸城  No20208−01 (こもろじょう)       

三の門 天守台

城郭の概要                  
別  名 : 酔月城、白鶴城、穴城、鍋蓋城、
所在地 : 小諸市丁
築城年 : 天文12年(1543)
形  式 : 平山城、崖淵城
遺  構 : 城門、石垣、天守台、空堀、土塁、井戸 
訪城日 : 平成29年9月14日

歴   史
木曽義仲の武将・小室太郎光兼が館を構えたのが小諸の城の起こりと云われる。室町時代には、この地の豪族大井光忠が小室氏の勢力を抑え、長享元年(1487)鍋蓋城を築き、その子・光為が現在の二の丸跡に出城として乙女城を構えたとされる。
戦国時代に入ると、小諸地方は大井氏に替わって村上氏が領有するところとなったが、天文12年(1543)甲斐の武田晴信(のちの信玄)が村上義晴を破り、鍋蓋城は落城した。
東信濃を制圧した晴信は山本勘助と馬場信房に築城を命じ、鍋蓋城と支城の乙女城を取り込んだ大城塞へ改修させた。これが現在の小諸城の原形とされ、天文23年(1554)に完成し、武田氏の東信濃経営の拠点になった。
天正10年(1582)織田信長によって武田氏が滅ぼされると、信長麾下の滝川一益の所領となり、その家臣の道家正栄が城主となった。しかし、同年6月本能寺の変で信長が斃れると、一益は伊勢へ退き、北条氏が上野国より信濃国へと侵入した。北条氏は重臣大導寺政繁を小諸城に置いて佐久の押えとし、旧武田領をめぐって甲信国境で徳川家康と対峙したが、武田の旧臣で徳川方となっていた春日城主・依田信蕃によって糧道を断たれ、北条氏は徳川氏と和議を結び、上野国へと退いた。信蕃は、佐久平定のため、諸城を攻め落として行ったが、岩尾城攻めで討死したため、信蕃の子・康国に松平姓が与えられ小諸城6万石を領した。
天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で松平康国は上野国石倉城攻めにおいて没し、弟康勝が家督を継いで小田原征伐の後に、上野国藤岡に3万石を領して転封となった。かわって小田原征伐で功があった仙石秀久が5万石で大名に復帰し、三層の天守をはじめ黒門や大手門を建て、その子仙石忠政が三の門と足柄門を建てるなど、近世城郭へと大改修した。
徳川幕府の時代となって、元和8年(1622)仙石忠政が信濃上田に移封されると、小諸城は徳川家光の弟である松平忠長の領有するところとなるが、寛永元年(1624)松平憲良が美濃大垣から5万石で入封。その後、青山氏、酒井氏、西尾氏、松平氏と城主は交替したが、元禄15年(1702)越後与板から牧野康重が1万5千石で入封し、10代続き明治維新を迎えた。

構造と感想
小諸城は、千曲川の北東岸 比高60m程の河岸段丘上にあり、浅間山の火山灰台地が浸食されて出来た田切りと呼ばれる谷に挟まれた細長い段丘に築かれた連郭式平山城であるが、通常の城は周囲から仰ぎ見られるように造られているが、この城は城下から見下ろされる位置にあり「穴城」と呼ばれる特異な城である。
城域は、東西約700m、南北約150mで、西端の崖淵に本丸、中央に二の丸、東端に三の丸を一直線に並べた配置で、本丸と二の丸間は紅葉谷と呼ばれる巨大な堀切で区画され、本丸は完全に独立している。これらの南北両サイドは深い浸食谷が幾筋も入り込んできており、南側には籾蔵台、北側には陵神郭と呼ばれる浸食谷に挟まれた細長い郭が設けられていた。さらに三の丸の東側には鍋蓋郭や鹿島郭が構えられ大手を護っていたようである。そして城下を含めた周囲の北西側を中沢川、東南側を蛇堀川が流れ、天然の外堀として機能し、要害堅固な城であった。
江戸時代の絵図によると総石垣造りであるが、現状は浸食谷が最も狭まった鞍部にある重要文化財の三の門から西の本丸にかけて原形を良く留めているが、それ以外は殆んど消失している。
三の門を入って坂を登り、二の丸高石垣の南下を通り、南西隅の枡形から二の門へと進み、門内に入ると正面に番所、右手の東側に二の丸があり、左手西側の中仕切門を入ると右手が北の丸、左手が南の丸となっている。両丸の石垣の間を西に通り抜けると堀切に突き当たる。そこに架かる黒門橋を渡ると本丸で、本丸南東部に5、6m程の高石垣で囲われた上段があり、御殿が建てられ、北西隅には三層の天守が聳えていた。現在は懐古神社が鎮座している。上段の西側は馬場、北側は荒神郭と呼ばれ、北西端に不明門があり、下に湧水の井戸があったらしい。本丸西側の千曲川に面する断崖には西谷と呼ばれる土塁を付帯させた帯郭が設けられている。
これらの堅固な備えに加え、三の門から本丸までの周囲は深い浸食谷が取り囲んでおり、その断崖絶壁は城攻めの気力を失せさせるに十分な高さを有している。
なお、三の丸では大手門のみが市街地の中にポツンと残っている。

道 案 内
上信越道の小諸インターを降りた小諸I.C入口交差点を右折し、道なりに1.3km程南下すると国道18号との小諸I.C南交差点に至る。ここを直進して850m程道なりに南下すると左手に芦原中学校がある。芦原中学校前を通り過ぎ800m程道なりに進むと小諸グランドキャッスルホテル前に至る。ホテルを越えた角で右折すると駐車場入口である。

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南谷の断崖               北谷の断崖

 
二の丸門の桝形         二の丸の虎口

 
本丸上段への虎口       本丸上段の西側石塁

 
三の丸の大手門            現地の案内図