白石山城  No18481−01 (しらいしやまじょう)       

三の郭東側の石垣 主郭の櫓台

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 大飯郡高浜町馬居寺
築城年 : 永禄年間(1558〜70)
形  式 : 山城 
遺  構 : 土塁、空堀、堀切、土橋、石垣、虎口、
訪城日 : 平成27年11月7日

歴   史
永禄4年(1561)若狭西端の雄・逸見一族が若狭守護武田義統に反旗を翻した後、逸見氏に対する備えとして武田氏の被官粟屋小次郎が築城したと推定されている。
武田氏が衰退すると小次郎は織田信長に与した。天正元年(1573)朝倉氏が信長に滅ぼされると、若狭は丹羽長秀に与えられ、小次郎も長秀の家臣団に加えられたと考えられている。

構造と感想
白石山城は、青戸の入江に面する和田地区と青戸地区の間に南から北へ張り出した山稜の南北に細長い頂部(標高186m)に築かれており、約250mに亘り郭を連ねた連郭式の山城である。
南北両端を高低差の大きい堀切で区画し、頂部に小さな段差で区画した三つの郭を設け、南が主郭で、北へ二の郭、三の郭と続いている。主郭は中央の浅い空堀で南北二つの郭に分かれており、北の郭は西面に土塁を伴い、南の郭は側面に石垣が積まれ、北東隅の虎口を除く四周に土塁が廻らされ、櫓台と推測されている。主郭の南側は大きな切岸の下に腰郭があって、小さな堀切を介して南郭が配され、その南が南端の堀切となる。南郭は西面と南面の大半、東面の中程に土塁が築かれている。
二の郭の東側と三の郭の東側南半分に帯郭が付帯し、三の郭の東側北半分と北側には石垣が残存し、北側は石垣造りの食違い虎口と虎口郭を設けている。その北側に二段の腰郭があり、北端の土橋が架かる堀切となる。
白石山城の中心部には多くの石垣や虎口の造りなど、近世城郭に近い築城技術が見られるが、若狭武田氏のものとは考え難い。小次郎は信長に与しおり、それ以降に付加されたようと思えるがどうだろう。

道 案 内                       
入口
舞鶴若狭道の小浜西インターを降りて直ぐの岡津交差点を左折し国道27号に入る。国道27号を西へ8.1km程行った和田駅交差点で左折し、60m程先でJR小浜線を渡る。渡って70m程先の信号交差点で左折し、東に410m程行き馬居寺の案内標識ある所で川沿いの細い道に右折する。道なりに1.6km程行くと馬居寺に至り、そこから林道を終点まで1km程登る。林道終点のやや左側から山に入り、窪みを越えてから尾根道を北に向かて5分も登ると城跡に至る。   

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主郭の仕切り空堀と土塁         三の郭     


三の郭の食違い虎口         南郭の土塁

北端の堀切           南端の堀切