No24206−02 No24206−03
松山氏城 早山氏城
(まつやましじょう) (はやましじょう)

土塁の北東角 井戸跡

城郭の概要                 城郭の概要
別  名 : 別  名 :
所在地 : 伊賀市(上野市)比土(早山)字上出 所在地 : 伊賀市(上野市)比土(早山)字上出
築城年 : 室町期 築城年 : 室町期
形  式 : 丘城 形  式 : 丘城
遺  構 : 土塁、空堀、虎口、 遺  構 : 土塁、空堀、石積み、虎口、井戸、
訪城日 : 平成25年3月2日 訪城日 : 平成25年3月2日

歴   史
・・・・松山氏城・・・・についは、「伊乱記」天正伊賀の乱の丸山合戦(天正6年(1578))に松山氏の名が見え、「三国地誌」には松山氏堡とあり、室町時代に松山氏が築いたと推測されている。
・・・・早山氏城・・・・についは、「伊乱記」天正伊賀の乱の国見山合戦の項に比土村葉山新助の名が見え、「三国地誌」には羽山氏宅址と記されている。早山大納言屋敷と呼ばれる切込館が松山氏城に隣接してあり、この館が羽山氏宅址と推測されている。

構造と感想
木津川の蛇行部に北から南に張り出した城山に築かれている。早山地区の民家が丘陵西麓に沿って建ち並ぶ、その南端の民家背後の丘に南から松山氏城、早山氏城、上出砦と北に向かって並んいる。
・・・・松山氏城・・・・は、四方を2〜6m程の切込土塁で囲繞され、西側以外の三方に空堀が廻っている。空堀の外側に南西端から南虎口まで分厚い土塁が築かれている。虎口は南側に1ヶ所、西側に2ヶ所開き、いずれも平入りであるが、南虎口の城道は虎口を出て右に折れている。郭内は北東隅が一段高くなっている。
・・・・早山氏城・・・・は、丘陵を東に切り込み西側に巾4m程の土塁を築き、その中央に虎口が開いている。虎口から北側の土塁内側裾に土留めの川原石を用いた石垣が積まれている。南側も削り出しの土塁で、空堀を隔て松山氏城となる。東側には巾30m程の地山を加工した土塁を隔て、東から切り込み設けられた削平地があるが、当城の一部か、上出砦の一部か分からない。郭内の北東隅は一段高く、南東隅は堤で囲んだ井戸がある。

道 案 内
国道165号に国道422号が交差する青山羽根交差点から国道165号を西に600m程行った左手にあるメモリアルホールを越えて直ぐのT字路で右折し路地に入る。路地を道なりに120m程登るとY字路で、そこを左手に進み、道なりに320m程行くと道は急な下り坂になり、その付近の右側に退避所がある。そこから右手の藪に入り北西方向100m程で城跡である。退避所に1台駐車可。

松山氏城   早山氏城 TOPへ 戻る

東側の空堀

郭内を見下す

南側土塁の内法

南側土塁