和知城 No21505−01 | (わちじょう) |
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内堀 | 本丸 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : 稲葉城 |
所在地 : 加茂郡八百津町野上字大門西 |
築城年 : 天正18年(1590)頃 |
形 式 : 平城 |
遺 構 : 空堀、土塁、井戸、 |
訪城日 : 平成28年11月4日 |
◆ 歴 史 |
曽根城主稲葉一鉄の4男で不和彦五郎の養子となり西保城主(美濃国安八郡神戸)であった方通が、天正18年(1590)頃にこの地に移封となり知和城を築いたとされる。 慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で方通は東軍に与し、戦後も和知村他4ヶ村で4430石を領することとなった。 元和3年(1617)稲葉氏は尾張藩主徳川義直に属することとなり、方通・知通・正通・良通・屋通と5代に亘り続いたが、延宝4年(1676)屋通が継嗣なく没したため、家名は断絶し、所領は尾張藩領となり、知和城は廃城となった。 |
◆ 構造と感想 |
和知城は、木曽川と石川に挟まれた河岸段丘先端部に築かれている。木曽川と石川は天然の堀となり、陸続きの北側にセットになった空堀と土塁を二重に廻らせた堅固な平城である。この形態の城は、大きな河川が流れる盆地によく見られる築城法である。 現在、城跡は稲葉城公園なっているが、本丸と二の丸を隔てる大規模な空堀は完存で、その土塁は東部が1/3程度残る。外堀とその土塁は西端部にごく一部が残存するのみである。本丸の北西隅に井戸が跡が残る。本丸内の櫓風の展望台からの眺めはなかなかのものである。 |
◆ 道 案 内 |
東海環状自動車道の可児御嵩インターを降りた最初の可児御嶽IC交差点で右折し国道21号バイパスに入る。西に400m程行った柿田交差点で右折し県道381号線に入り北上すると国道21号の旧道に突き当たる。その高倉口交差点を左折し国道21号の旧道に入る。西に1.2km程の上恵土交差点で右折し県道381号線に入り北東に進む。2.3km程先の下渡橋南交差点で左折し、木曽川を渡りすぐの下渡橋北交差点で右折し県道350号線に入ります。東に2.7km程道なりに進むと右手に稲葉城公園入口の案内板がある。ここで右折し110m程入ると公園駐車場である。奥が城跡。 |
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