能見城  No19207−04 (のうけんじょう)       

標柱 段郭跡

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 韮崎市穴山町夏目
築城年 : 天正9年(1581)
形  式 : 平山城
遺  構 : 土塁、空堀
訪城日 : 平成22年11月22日

歴   史
能見城は、天正9年(1581)に武田勝頼が新府城を築いた際、北側の防塁として築いたとされるが、翌年の武田氏滅亡後に起こった天正壬午の乱で徳川家康が新府城に本陣を置き、北方の若神子城の北条氏直に対峙する備えてとして構築したとも考えられている。

構造と感想
能見城は、七里岩台地上で新府城の北方2kmに位置し、釜無川から塩川間を結び東西に延びる延長1.5kmの防塁・砦を統括する城で、県道17号線、穴山駅の直ぐ東側の比高60m程の小さな山稜に築かれていた。
現在は、改変が著しく何段もの柵板壁が設けられ遺構は殆んど消滅し、山頂に標柱があるのみである。

道 案 内

中央自動車道の韮崎インタを下りて、左折し県道27号線に入る。県道を道なりに2km程西進すると七里岩トンネルに入り、トンネルを出て50mで左折し150m程坂を登った先のT字で左折する。県道17号線に入り、北に3km程行った左手が新府城で、更に県道17号線を道なりに1.2km程進み、右折して旧道に入る。旧道を700m程北上した右手の「能見城跡」の看板が建つ小山が城跡である。


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