桜城  No23211−07 (さくらじょう)       

隅櫓台 全景

城郭の概要                  
別  名 : 佐久良城、挙母城、衣城
所在地 : 豊田市元城町一丁目、二丁目
築城年 : 慶長19年(1614)
形  式 : 平城
遺  構 : 櫓台、
訪城日 : 平成26年9月28日

歴   史
慶長9年(1604)三宅康貞が武蔵瓶尻より1万石で金谷城に入封したが、金谷城が戦火で荒廃していたため、慶長19年(1614)陣屋を築いた。その敷地に桜が植えられていたことから桜城と呼ばれるようになった。
本格的な築城は、寛延2年(1749)2月上州安中より入封した内藤政苗が陣屋であった桜城を城郭化するため、幕府から4千両を借用して宝暦6年(1756)2月から本丸、二の丸石垣工事に着手した。三重の本丸櫓、二重の隅櫓、周囲720mの堀を巡らした総面積32haの本格的な築城計画であった。しかし、度々矢作川の洪水に見舞われ、築城工事は遅々として進まず、明和2、3年(1765、66)に連続して起きた大洪水によって築城は断念されるに至った。
その後、明和4年(1767)城下民家は樹下、小坂へ移転し、安永8年(1779)11月二代藩主・学文が城郭を童子山へ移転する願いを幕府へ出し許可されて、翌年から工事が開始された。築城にあたり幕府から2千両を借り受け、天明2年(1782)に一応の完成をみた。この城が七州城である。
現在、桜城の痕跡は殆ど残っていないが、花崗岩の切石を積み上げ(布積み)た高さ6.4m、石垣上面8.7m四方の隅櫓石垣が残っている。

構造と感想
桜城址は、豊田市の市街地内、矢作川から600m程西側に位置している。現在は、城域の一部が小さいながら桜城址公園と云う立派な名称の付いた公園になっており、公園内の南側中央付近に堂々とした櫓台が残っているが、周囲の景色に馴染んでいない感がある。

道 案 内
豊田市中心部の国道153号と国道301号の交点となる挙母町1丁目交差点から南に140m程行った挙母町1丁目北交差点を直進して70m程行ったT字路で左折する。西に100m程行った左手が公園で櫓台が残っている。

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