明智長山城  No21214−02 (あけちおさやまじょう)       

本丸 本丸の東側土塁

城郭の概要                  
別  名 : 長山城,明智長山城
所在地 : 可児市瀬田地内
築城年 : 康永元年(1342)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、空堀、
訪城日 : 平成28年11月4日

歴   史
康永元年(1342)に美濃源氏 土岐下野守頼兼が名字を「明智」と改めて、初代明智家棟梁となり、明智荘瀬田の統治に明智城を築城したとされる。
弘治2年(1565)斉藤道三を長良川の合戦で討って美濃国主となった斎藤義龍(道三の長男)は、同年9月、道三に味方した明智一族を討つべく、関城主・井道利を大将として長山城を攻めた。明智光安(宗宿、光秀の叔父)と弟光久は城に籠城して義龍の軍勢に抗したが落城し自刃した。この時、光秀は明智家再興を託されて城を逃れたと云われ、こののち城が再興されることはなかった。

構造と感想
明智長山城は、丘陵地が平地に落ち込む先端部に築かれており、東西に長く延びた丘陵の中央(標高175m)の頂部に本丸と二の丸を置き、そこから放射状に伸びる5本の支尾根に郭を配している。しかし、各郭とも削平が不完全で防御施設も殆んどなく、なだらかな広い丘陵地形であり、城の形態を感じられない。大手道は、東端支尾根の西側谷筋を登っており、冠木門が建てられている。

道 案 内
東海環状高速道の可児御嵩インターを降りて最初の可児御嶽IC交差点で右折し国道21号バイパスに入る。次の柿田交差点で左折し県道381号線に入り1.5km程南下した羽生ケ丘1交差点で右折する。団地内を280m程西進したT字路で右折し550m程左に緩やかにカーブしながら進むと、左に急カーブする手前にT字路がありそこで右折する。120m程行くと突き当りでそこで右折し80m程北上すると道は左に折れる。折れて直ぐに右折し100m程先で再び右折しその先の突き当りが登城口である。道路余白に1台は駐車可。
なお、天龍寺近くの大手側には10台程度の駐車場が整備されている。

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馬場             大手の冠木門