平瀬山北の城  No20202−06 (ひらせやまきたのしろ)       

郭1の南方向 横堀

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 松本市島内字下平瀬
築城年 : 戦国時代
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、横堀、堀切、竪堀、
訪城日 : 平成24年10月21日

歴   史
<平瀬城の城歴を参照>
平瀬山北の城から南に伸びる尾根の先端部には平瀬城が築かれている。その平瀬城は背後の尾根続きを幾重もの堀切で防御しているが、さらに防御を固めるため、平瀬山北の城を構えたと考えられる。
しかし、平瀬氏による平瀬城の築城時に構えられたのか、武田晴信も平瀬城を鍬立てして安曇野攻略の前衛基地にしており、また、小笠原長時も一時的に村上義清と深志城奪還の基地にしているので、どの時期に築城されたかは定かでない。

構造と感想
平瀬山北の城は、平瀬城(本城)の北側に谷を隔てて西へ伸びた尾根に築かれている。その頂部から南へ伸びる尾根を下って行くと直ぐに平瀬城(本城)である。
城は頂部地区と西尾根地区の2ブロックからなる。
頂部地区は、頂部に郭1を置き、南東斜面に郭2と郭3が階段状に配し、その下に土塁を伴った横堀を廻らせ、南端部は二重堀となって、郭4へと下っている。郭4は二段に分かれ、北の上段は円形に近く、南の下段は細長く、南端に通路を兼ねた堀切で区画されている。西尾根は付根に堀切を入れ、その下に桝形状虎口を二つ連ね、南北面に土塁が付いた二段からなる郭5が続いている。郭5西側の鞍部を隔て西尾根地区となる。
西尾根地区は、鞍部と副郭間の両斜面には竪堀が入り、副郭と頂部の郭6は堀切で区画され、郭6の西側には2条の堀切が入り、その西側に段郭が4、5段続いている。
頂部地区のみ探索したが、十分に削平されておらず、横堀も浅く、北側背後の遮断施設が現状では見当たらず、不明瞭な遺構であり、臨時的な陣跡のようにも思える。

道 案 内
松本市街から国道19号を北上、奈良井川が犀川に合流する手前の平瀬口交差点で右折し国道254号に入る。国道254号を道なりに1.2km程進み、有料道路料金所手前で右折する。カーブの多い道を1.4km程行くと突き当りとなり、そこで左折する。その後は道なりに走ると右手に豊科カントリー?楽部のフェンスがある所に至る。その少し先の左手に「安曇野市」と表示された行政界を示す看板が建てられている。その看板の20m程手前から南の尾根に入ると城跡である。

TOPへ 戻る

 
南端の堀切通路          桝形虎口