大通寺山陣所 No23581−03 (だいつうじやまじんしょ)       

削平地 盃井戸

城郭の概要                  
別  名 : 大通寺山砦
所在地 : 新城市(鳳来町)長篠字大通寺山
築城年 : 天正3(1575)
形  式 : 陣城
遺  構 : 削平地、井戸、
訪城日 : 平成26年8月24日

歴   史
大通寺山陣所は、長篠城の本丸、巴城郭、瓢郭を眼下に見下ろす丘にあって、天正3年(1575)の長篠の戦いの時、武田軍の馬場信房、武田信豊、小山田昌行らが陣を置いた所である。
織田・徳川連合軍の来襲を受け医王寺山本陣で開かれた軍議において設楽原に出撃と決した時、馬場信房、山形昌景、内藤昌豊、土屋昌次ら四名の諸将は討死を覚悟してこの寺の清水の湧出井戸で、馬柄杓で別れの水杯を交わし出陣して行った。その後、盃井戸と呼ばれている。

構造と感想
大通寺山陣所は、足元に長篠城巴城郭を見下す低山稜に構えられた、武田軍の最前線陣地である。陣跡であり縄張図でも頂部を削平した程度で、城郭施設は築かれていない。現在は、木々が生い茂り、通路以外は立ち入れない状況であり、残念ながら見通しも利かない。
寺の裏手に水杯の井戸があり、石碑が建てられている。

道 案 内
新東名高速の新城インターを下りて国道151号を北方向に入る。国道151号を2.7km程道なりに進むと道路沿い右手に大きく「長篠城址」や鳥居強右衛門の看板が出ている。そこから110m程先の長篠城址交差点の北東側が大通道である。この交差点を左折して直ぐに戻るように右折し坂道を上っていくと大通寺で、ここが陣所跡である。お寺への階段を過ぎて直ぐ左手に駐車場がある。

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