月ヶ谷城  No23201−01 (わちがやじょう)       

主郭上段の北東方向 主郭土塁と石積

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 豊橋市嵩山町字山軍場
築城年 : 大永年間
形  式 : 山城(200m/100m)
遺  構 : 土塁、横堀、虎口、石積、井戸
訪城日 : 平成30年11月23日

歴   史
伝承では大永(1521〜28)の頃、西郷信員が築いたとされ、『宗長手記』の大永2年条に「本坂というを越えて、西郷宿所あないして」とあり、月ヶ谷周辺に西郷氏の本拠があったことは疑いないが、月ヶ谷城は生活空間を伴っておらず、国人領主の居所には適さない。また、本坂峠を俯瞰する要衝に位置することや、背後の高所続きに堀切等がなく西郷地区との連絡を意識していることから、徳川領下に西郷地区の西郷氏によって本坂峠を抑える目的で維持管理されたと推測されている。なお、南麓の姫街道沿いにより居住性の高い市場城が存在し、この城を西郷氏の居館と考えるのが妥当とされている。
永禄4年(1561)信員孫の正勝(江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の生母西郷局(お愛)の祖父)は月ヶ谷城の北方の山あいの地に五本松城を築城し、三河西郷氏の本城を移転した。
翌、永禄5年桶狭間の戦いで今川義元が討たれると正勝は徳川家康に従ったため、今川氏家臣朝比奈泰長の夜襲で五本松城とともに落城し、正勝、元正父子は討死している。

構造と感想
月ヶ谷城は、西郷氏の菩提寺である正宗寺の西に聳える標高205m、比高150mの山上に築かれた山城である。
構造は、主郭を山頂に置き、南下に帯郭TとU、北下に腰郭を配置している。主郭は北側が一段高く二段からなり、南西部を除き低土塁がめぐっている。土塁内側の基底部には、土留めの石積も見られる。虎口は、東、西、南の三方に開き、いずれも下段で、郭内で直角に折れて入る造りである。この三つの虎口は帯郭Tで繋がれている。帯郭Tにも南に虎口が開くが、これも同じ造りで、加えて入った正面に素掘の井戸のような深い穴が空いている。位置的に井戸とは思われず、虎口防備に関連した施設か。また、虎口外にはかざし土塁が設けてあり、横堀状になっている。帯郭Tの南下は帯郭Uで南西端が横堀で短い竪堀が伸びる。

道 案 内
東名高速の豊川インターを出て国道151号の南方向に入る。国道151号を1.9km程南下した馬場町交差点で左折し国道362号に入る。国道362号を6km程東進した嵩山市場バス停の所で左折し天神川沿いの細い道路に入る。北に600m程行くと右手に黄色い標柱があり小川に木橋が架かっているところが登り口で、後は黄色と赤色に塗られた案内標識に従って20分程登ると城跡に至る。
入口付近に駐車場はない。

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                          主郭西虎口内(奥が上段) 


主郭南虎口内の折れ               帯郭T   


帯郭T虎口のかざし土塁          同虎口内の井戸状穴