上田藩主屋敷  No20203-05 (うえだはんしゅやしき)       

表門 水堀と土塀

城郭の概要                  
別  名 : 御屋形
所在地 : 上田市大手1丁目4-32
築城年 : 元和元年(1616)
形  式 : 居館
遺  構 : 土塁、水堀、表門、土塀、石垣
訪城日 : 平成23年6月5日

歴   史
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で真田昌幸は敗れた西軍に与したため、直後に上田城は破脚された。その後、東軍に属した昌幸の長男で上州沼田城主の信之に上田城が与えられた。しかし、城普請は行わず、沼田城を本拠地としていたが、元和元年(1616)信之は幕府から本拠地を上田城に移すよう命じられ、上田城三の丸に陣屋を構え居館とした。これが「御屋形」と呼ばれた藩主屋敷である。
元和8年(1622)信之は埴科郡松代に転封となり、替わって佐久郡小諸から仙石忠政が城主となり、上田城を復興、改修したが、藩主屋敷にそのまま居住し、宝永3年(1706)仙石氏の後に入封した松平忠周も藩主屋敷を利用した。当屋敷は、藩政の中心施設である藩庁の役割も果たし、実質的な上田城の本丸であった。

構造と感想
現在、上田藩主屋敷跡は県立上田高校の敷地になっており、東西135.5m、南北135.1mの規模を持ち、四囲に水堀と土塁が廻っていた。現在は、水堀と土塁の東側と北側の東部が良好な状態で残っている。そして、寛政元年(1788)に消失し翌年に再建された表門や幕末の文久3年(1863)に建てられた土塀も現存し、趣ある佇まいを醸し出している。

道 案 内
上田市役所の南隣、上田城二の丸から東へ300m程に所在する。駐車場はない。

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