小丸山城 No17202−02 | (こまるやまじょう) |
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本丸櫓台と城址碑 | 本丸と天性丸間の空堀 |
◆ 城郭の概要 |
別 名 : 七尾城、所口城 |
所在地 : 七尾市馬出町 |
築城年 : 天正10年(1582) |
形 式 : 平山城 |
遺 構 : 空堀、石垣、 |
訪城日 : 平成22年6月27日 |
◆ 歴 史 |
天正9年(1581)織田信長から能登一国を与えられた利家は、越前府中から一旦七尾城へ入ったが、翌天正10年(1582)港に近い小丸山に小丸山城を築いて居城とした。 天正11年(1583)羽柴秀吉が紫田勝家を攻めた際、利家は中立の姿勢をとり、その功により加賀国石川、河北の二郡を与えられ、金沢に遷城した。これにより小丸山城には兄の安勝、その子利好、高畠定吉、中川光重を置いた。その後、慶長4年(1599)には利家養老封の内、羽咋・鹿島郡1万5千石を二男・利政が分与を受け小丸山城の城主となったが、利政は翌慶長5年(1600)の関ケ原合戦に参戦しなかったため、所領は没収され兄の利長が領治するところとなった。 慶長15年(1610)利好が無嗣で死去すると、利家の三男知好がその名跡を継いで1万3750石を知行し小丸山城主となり、町奉行の三輪藤兵衛、大井久兵衛などと能登の支配に当たったが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった。 |
◆ 構造と感想 |
小丸山城は、七尾港に近い所口村の小丸山に築かれている。現在の小丸山城跡は、本丸、天性丸、宮丸が小松山公園となっており、庭や園路などが整備され、著しく平坦な地形となっている。なお、大念寺山は開発により遺構が破壊されたようである。 それぞれの郭は、空堀や自然の谷で区画され、独立性の強い構造になっていたようで、今でも本丸と天性丸の間には深く鋭い空堀が見られる。各郭は相当に広く大規模な城郭であったと感じられる。 |
◆ 道 案 内 |
国道8号津幡バイパスの河北郡津幡町舟橋で国道159号に入る。国道159号を道なりに北上して七尾市に向う。七尾市内に入り市役所近くの川原町交差点で左折して県道1号線に入る。県道1号線を西に880m程行った小丸山公園下交差点で右折して住宅内の細い道に入る。細い道の150m程先に案内板のある十字路があり、そこで左折して小丸山公園に入って行くと無料駐車場がある。 |
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