金沢城  No17201−01 (かなざわじょう)       

百阮x跡から石川門を望む
三の丸東面の石垣
河北門と二の丸菱櫓・五十間長屋を望む
海鼠(なまこ)壁と鉛瓦

城郭の概要                  
別  名 : 尾山御坊(金沢御堂)、尾山城、
所在地 : 金沢市丸の内
築城年 : 天文15年(1546)
形  式 : 平山城
遺  構 : 石垣、土塁、堀、現存門、現存多聞櫓、現存倉庫、復元門、復元櫓、
訪城日 : 平成22年6月26日

歴   史
天文15年(1546)頃当時加賀一国を支配していた一向一揆の本山として本願寺支坊の尾山御坊(金沢御堂)が建立された。天正8年(1580)柴田勝家の甥である佐久間盛政が尾山御坊を陥落させ、石川・河北両郡13万石を与えられて、尾山御坊を城郭へと改修、尾山城と改め居城とした。
天正11年(1583)賤ヶ岳の戦いで佐久間盛政は敗れ、捕らえられて京六条河原で処刑された。石川・河北両郡は前田利家に与えられ、利家は能登小丸山城より尾山城に入城し、居城として本格的な改修に着手した。以後、利長・利常と三代に亘って整備、拡張が続けられ、慶長15年(1610)に外総構堀が構築されて、おおむね縄張りの完成を見た。三代目利常の頃から城名が金沢城と呼ばれるようになった。
しかし、慶長7年(1602)には天守が焼失、本丸の建物も大半が焼失したが、天守は再建されず御三階櫓が建てられ代用とされた。その御三階櫓も宝暦9年(1759)の大火により焼失している。本丸御殿は、元和6年(1620)と寛永8年(1631)に焼失し、翌寛永9年に二の丸御殿を建て藩主の居所とするようになった。その後も焼失や倒壊、再建を繰り返しながら明治を迎えた。
明治に入っては、焼失や撤去で建物や堀が失われ、跡地に軍施設、第二次世界大戦後は大学等の公共施設が設置されたが、平成8年「金沢城址公園」計画が決定され、発掘調査のうえ建物等の復元が行われている。

構造と感想
金沢城は、南西方の犀川、北東方の浅野川に挟まれ金沢平野に向かって北西に延びる小立野台地先端に築かれ、三方が天然の切岸で、南東側(兼六園側)のみが台地続きであり、佐久間氏時代に背後を遮断する百間堀が設けられ、城域と台地が区画された。
構造は、南東端の最高所が本丸で、その南東隅に天守台が置かれた。本丸の東側には東の丸、西側には一段低く本丸付壇・薪丸、北側西部の低地には堀を隔て二の丸、北側東部の低地には鶴の丸、そして東の丸東側から本丸南側の石垣下を鶴の丸続郭が取り巻いている。二の丸から鶴の丸の北側にはクランク状の堀を隔て三の丸、三の丸の北側には堀を隔て新丸、二の丸と薪丸の西側には玉泉院丸などが配され計12の郭が構築されていた。新丸の北西隅を除き全ての周囲に堀を巡らせ、高石垣を積み上げ、虎口は内桝形虎口とした壮大な城郭であった。
今回はじめて城の外周を回って、野面積み、打ち込みはぎ、切り込みはぎなど石垣の積み方の多様さ、そして、その迫力に圧倒されるとともに、見事さに魅せられた。さすがは100万石の居城に相応しい造りである。
金沢城には現在も主要部の石垣や空堀が残っており、建物も江戸時代の物で重要文化財に指定された石川門、同菱櫓、多聞櫓、太鼓塀、三十間長屋(多聞櫓)、鶴丸倉庫が当時の位置に、そして切手門、二の丸唐門、能舞台、玉泉院太鼓塀などが城内外に移築され残っている。また、近年の再整備が進められており、河北門、二の丸菱櫓、五十間長屋、橋爪門、橋爪門続櫓、鶴の丸土塀などが復元され、近世城郭の光景風情が随所で見られるようになってきた。さらに、海鼠(なまこ)壁の城壁や白っぽい鉛瓦、唐破風のニラミ櫓などが金沢城独特の風情を醸し出している。普請に於いても、作事においても、見どころ満載であり飽きることなく散策した。

道 案 内
福井方面から北陸高速道を来て金沢西インターで降りて国道8号に入り、北東に3.2km程行った藤江交差点で右折し県道17号線に入る。県道17号線を南東に2.5km程行った六枚交差点で直進し県道13号線に入り、県道13号線を840m程道なりに行くと武蔵交差点に至る。同交差点で直進し国道159号に入り東に710m程行き橋場交差点で右折する。420m程先で右折れ、120m程先で左折してクランク状に進み、そこから140m程南下すると兼六園下交差点で、右手が金沢城である。兼六園下交差点を直進して直ぐの左手側に有料駐車場がある。

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三の丸側から菱櫓・五十間長屋を見る

 
五十間長屋と二の丸東側の堀         二の丸ニラミ櫓と北側の堀   

  
橋爪門と続櫓               河北門と櫓門  
 
 
 鶴の丸土塀と橋爪門          本丸三十間長屋

   
切手門             本丸鉄門跡
 
 
本丸・二の丸間の堀          復元されたいもり堀

 
本丸南面の高石垣        二の丸の仕切り石塁

 
東の丸東面の石垣         二の丸当面の石垣

 
玉泉院丸鼠多門の石垣          玉泉院丸庭園背後の石垣