津具城  No23561−03 (つぐじょう)       

主郭の北西方向 北尾根の堀切

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 北設楽郡設楽町(旧津具村)津具字麓
築城年 : 永禄年間
形  式 : 山城(770m/80m)
遺  構 : 土塁、堀切、横堀、竪堀、虎口 
訪城日 : 平成31年3月21日

歴   史
津具城主として後藤九朗左衛門善心が知られており、永禄5年(1562)今川氏の渡辺平内次が白鳥山城主 後藤善心を攻め降したと記した史料が残ることから、この戦の後に津具城を築いたと考えられている。残る遺構も戦国後期の構造を示している。
永禄12年(1569)徳川家康に属した名倉寺脇城の奥平信光の攻撃を受け落城し、この時、善心と長男次男は戦死、三男の政芳は城を脱出し信州へのがれ津具城は廃城となった。

構造と感想
津具集落の中心部に位置する通称「城の腰」と呼ばれる標高756mの山頂部に築かれている。
城の南側は急斜面で約95m下の津具川(大入川)に落ちている。東側は寺沢の渓谷で、西側は神明川が流れ、山頂から急斜面が約80m下る。北側が尾根続きで、堀切を入れ遮断している。
頂部の主郭は不整形で東西に長く、南西辺に土塁の痕跡が残る。北端部に虎口が開き坂土塁で米粒形で狭小な二郭に連絡する。坂土塁の北西側に竪堀が入り、主郭と二郭を隔てる。主郭と二郭の北下に三郭を設け主郭下の部分は横堀状となり、東端は尾根を断ち切り竪堀となって落ちている。主郭の南東下に段郭を設け、その下に堀切を入れている。南西下にも堀切を入れている。二・三郭の北西下に帯郭を設け、その北端は北尾根の堀切と結合している。堀切の端部は竪堀で落ちている。帯郭には三条の竪堀が落とされ、その間に西尾根からの大手道が通る。
頂部付近は緩やかな斜面であり、中心部の周りを堀切や横堀で固め防御性を高めようとしている。

道 案 内
新東名高速道の新城インターを下りて国道151号の北方向に入る。1.9km程行った豊川を渡る手前の有海交差点で左折して国道257号に入る。国道257号を20km程行くとトンネルを抜け豊川に突き当たる。そのT字の田峯交差点を左折する。引き続き国道257号を8km程行くと設楽町役場北交差点に至る。更に国道257号を2.7km程行くと設楽大橋があり、橋を渡らずに直進する。県道10号線に入り、道なりに9.6km程走ると大桑交差点に至る。そこで右折して県道427号線に入り、東に1.2km程行くと左手に立派な土蔵があるT字交差点に至る。そこを直進し県道80号線に入り、540m程進むと麓バス停がある。バス停の40m先に左手に折れる道がある。そちらに左折して230m程奥に入り、二股に分かれる所を左手に進む。100m程行くと道路幅が広くなっており、駐車できる。駐車した位置の10m程先から左手の尾根筋を目指し、尾根筋に出たら左手の頂部へ向う。頂部が城跡である。
(訪城時は、目印がなかったが、その後、案内板や縄張り掲載の説明板が設置されたようだ。)

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  北尾根の堀切            北尾根堀切の竪堀


三郭の北西部              三郭の横堀状部


  北西下の帯郭                 北西下帯郭の竪堀