春日山城  No24481−03 (かすがやまじょう)       

主郭と土塁 主郭東側の堀切

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 伊賀市(伊賀町)川東字春日山
築城年 : 天正9年(1581)
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、空堀、堀切、土橋、竪土塁、竪堀、虎口、
訪城日 : 平成25年1月12日

歴   史
『伊乱記』の宮山合戦に、天正9年(1581)柘植口から侵入した滝川一益、同儀太夫、藤堂将監の一隊が壬生野に対し、川東地区をはじめ周辺の土豪達が春日山(宮山)に集結し、川西村の中林丹後が指揮を執り、西之沢の地頭家喜下総が下知を執って、織田軍と激戦を繰り広げたと記している。
従来、宮山合戦は地区の中央に遺構を残す壬生野城を中心とした戦いであったと考えられて来たが、平成6年に宮山山頂に臨時の削平式城砦の遺構が発見されて、『伊乱記』の記述が裏付けられることになった。

構造と感想
織田軍の伊賀攻めに備え壬生野郷の総力を挙げて急拵えされた城砦で、川東集落の北側を流れる宮川北岸に北から「」」状に張り出した丘陵に築かれている。
北東隅の鞍部を隔て丘陵続きとなり、鞍部から約70m手前で堀切と土塁を設け、さらに主郭の東側にも堀切を入れ、その間は削平の甘い郭を連続させている。そして東側の切岸裾に横堀を設け、南東隅に竪堀を落とし、さらに下方斜面に多数の小段郭、山麓に横堀を入れ、尾根続きと東側からの侵入に対する遮断を図っている。
主郭は南北に長く三区画に区分され、南区画に東側を除く三方に薄い土塁が廻り、北西隅に虎口が開いている。主郭の南側から西側に「L」字状の大きな腰郭が付帯している。その下方には多数の帯郭や段郭が設けられている。
主郭の北西部から西に伸びる尾根にも三段ほどの郭が続いているようである。
織田軍との決戦のために全山を城塞化しており、単郭方形の城館が中心の伊賀衆の城としては特異なものであるが、堀切を除き遺構にシャープさは見られない。

道 案 内
名阪国道の御代インターを降りて県道2号線を南西方向に入り、830m程南下したT字交差点で左折する。50m先で右折し引き続き県道2号線を280m程南下し左折する。細い道に入り大きく左にカーブしながら道なりに340m進むと春日神社の鳥居前に至る。神社背後の山が城跡である。神社の左奥から直登する。参拝者駐車場がある。

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    主郭の虎口         主郭の南側から西側下方の腰郭

 
主郭東側の堀切南端の土橋     主尾根背後の堀切と土塁