久居陣屋  No24213−01 (ひさいじんや)       

南側の崖地 陣屋の一角

城郭の概要                  
別  名 : 久居城、久居館、
所在地 : 津市(久居市)久居西鷹跡町
築城年 : 寛文11年(1671)
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、空堀、 
訪城日 : 平成24年12月16日

歴   史
寛文9年(1669)9月29日津藩二代藤堂高次の隠居と津藩32万石余の兄弟分与が幕府に許され、津本藩を長男高久が継ぎ、5万石(うち伊勢国4万石、大和国1万石)が弟佐渡守高通に、3千石が正次郎高堅に分け与えられたことにより、高通を藩主とする久居藩が成立した。家格は城主格大名であったが築城は許されず、陣屋を構えることになった。
翌寛文10年(1670)萩森又兵衛を普請作事奉行に任命し、一志郡野辺村の野辺野と呼ばれる高台に城下の建設が始められ、翌寛文11年(1671)に入府し、「永久に鎮居する」との願いを込めて「久居」と名付けたと云われる。
ところが、高通には実子が無く、その跡は3千石を分知されていた異母弟の高堅が嗣ぎ、併せて5万3千石を領した。以後16代続き明治を迎えた。
この間、津本藩に高虎直系の血脈が途絶えると、久居藩主が津本藩の養子として入り、宗家を相続した。

構造と感想
現在、陣屋跡の大半が久居中学校と高通児童公園となっており、遺構らしきものはほとんど残っていないが、中学校のグランドあたりに御殿が建てられていて、南側が崖地で、他の三方に堀に相当する「溝」と土塁で区画されていた。
現在、現地の変貌は著しく陣屋跡の面影を全く感じることができないが、外郭の名残を南側の崖地に見ることができる。なお、公園西側の竹藪に僅かに土塁が残るようであるが見落とした。

道 案 内
伊勢自動車道久居インターを降りて左折し国道165号に入り、東に450m程行った明神町西交差点で右折して県道15号線に入る。南に850m程行った信号交差点で右折し、西に530m程行った伊勢自動車道手前の変則交差点で左折する。左折して20m先にY字路があり左手に進み、200m程で、「高通児童公園」に至る。児童公園と久居中学校一帯が陣屋跡である。

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