お茶屋屋敷  No21202−01 (おちゃややしき)       

土塁と堀 井戸跡と土塁

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 大垣市赤坂町3421-1
築城年 : 慶長10年(1605)
形  式 : 平城
遺  構 : 土塁、空堀、虎口、井戸、
訪城日 : 平成23年5月2日

歴   史

お茶屋屋敷は、将軍が上洛する際の専用の休泊施設で、沿道の諸大名に造営が命じられた。この地は高須藩領であり、藩主徳永寿昌が藩士安部孫兵衛を普請奉行に任命し、慶長9年(1604)に着工、岐阜城の御殿などを移築して翌10年に完成させた。
家康は慶長10、11、16、19年の4回、秀忠は元和元年(1615)に休泊している。
寛永5年((1628)幕府領となってから大半の建物が取り壊され、寛永12年((1635) 大垣藩主に戸田氏が入部し、御殿のみが残された。


構造と感想
お茶屋屋敷は、土塁と堀に囲繞された東西約130m、南北約120mの内郭と それを取り巻く外郭の二重構造の方形プランの城郭である。
昭和24年の中学校建設に伴い西半分が破壊され、現在は内郭の東と北および南の土塁と堀の一部、そして外郭の南辺の堀が残っている。内郭土塁の隅部は広くなっており、四隅に櫓が構えられていたと思われる。
北面に藁葺き屋根の門と城阯碑が建ち、門を入った左手に井戸跡があり、その背後に分厚く高い土塁が続いている。土塁に沿って奥に進むと左手に開口があり、それが大手門跡で、門跡を東に出ると土塁の外側に空堀が残っている。さらに南に進むと内郭の南側土塁と空堀、その南側に外郭と空堀の一部が残る。
なお、内郭の大半が牡丹園となり、手入れが行き届いており、遺構もよく観察できる状態にあり、嬉しい。

道 案 内
東海環状自動車道の大垣西インターを下り最初の桧交差点を右折し国道21号に入る。国道21号を西に360m程行った荒尾町交差点で右折し県道214号線に入る。北方向に道なりに1.6km程行くと県道216号線との交差に至る。そこの信号交差点で右折し東方向に240m程行き、次の信号交差点で左折する。北方向に580m程行った突き当たりで右折し、県道216号線の旧道に入り東方向300m程行った信号交差点を右折し、南に25m程入ると赤坂中学校の北西角である。中学校の北側を東へ100mも行けば正安寺横の駐車場で、その対面がお茶屋屋敷跡である。

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