岐阜城  No21201−04 (ぎふじょう)       

模擬天守 本丸と台所郭間の鞍部の石垣

城郭の概要                  
別  名 : 稲葉山城
所在地 : 岐阜市金華山
築城年 : 建仁元年(1201)
形  式 : 山城
遺  構 : 模擬天守、模擬櫓、土塁、堀切、石垣、虎口、井戸、
訪城日 : 平成29年9月24日

歴   史
建仁元年(1201)当時稲葉山と呼ばれていた金華山に鎌倉幕府執事の二階堂行政が砦を築いたのが築城のはじめと伝承されている。
応永年間(1394〜1428)になと美濃国守護土岐氏の守護代・斎藤利永が廃城になっていた稲葉山城を修築して居城とし、大永5年(1525)には斎藤氏家臣の長井長弘と長井新左衛門尉が謀反を起こし稲葉山城を支配下に置いた。
天文2年(1533)新左衛門尉が没し、子の新九郎規秀(後の斎藤道三)が城主となり、天文7年(1538)に美濃守護代斎藤利良が病没すると、その名跡を継いで斎藤新九郎利政と名乗った。そして、天文8年(1539)頃までに金華山山頂に城を造営し、天文11年(1542)には守護土岐頼芸を追放して美濃一国を手中にした。
天文18年(1549)城を大改築するとともに城下町井之口も整備した。天文23年(1554)家督を義龍に譲り鷺山城に隠居し道三と号した。弘治2年(1556)義龍は道三を破り、永禄2年(1559)には足利将軍の相伴衆に列しられ、名実ともに美濃の支配者となった。
しかし、永禄4年(1561)義龍は急死し、その跡を子の龍興が継ぐが、永禄7年(1564)稲葉山城を竹中半兵衛重虎(重治)と安藤伊賀守守就に奪取されるなど混乱を生じさせた。
永禄10年(1567)織田信長に稲葉山城を落とされ、伊勢長島へと逃亡し、信長は井ノ口と呼ばれていた地名を岐阜と改め、居城を小牧城から岐阜城に移した。現在に残る城の遺構の多くがこの時期に修築されたものと思われている。なお、岐阜の名は「中国の周の文王、岐山より起こりて天下を定む」より岐を取り、阜は文の都の曲阜よりとられたとのことである。
永禄11年(1568)信長は足利義昭を擁して上洛し、以後、天下布武を掲げ岐阜城を拠点に越前朝倉氏、北近江浅井氏を滅ぼし、伊勢長島一向一揆、加賀一向一揆を鎮圧し、甲斐武田氏に長篠で大勝するなど天下静謐を目指した。
天正3年(1575)には家督を子の信忠に譲って岐阜城主とし、翌年自らは近江の安土城へと移った。
天正10年(1582)甲斐武田氏を天目山麓に滅ぼした直後、明智光秀の謀反によりに信長・信忠は本能寺で自刃に追いやられた。その後、岐阜城には信長の三男信孝が入城した。
天正11年(1583)信孝は賤ヶ岳の戦いで柴田勝家と通じ、羽柴秀吉に攻められ開城、池田元助が城主となった。天正12年(1584)元助は長久手の戦いで討死し、次に池田輝政が城主となり天守を構えるなど城を改修した。天正18年(1590)輝政は吉田城に移り、秀吉の養子秀勝が城主となったが、文禄元年(1592)朝鮮にて病死、同年に信長の嫡孫秀信(幼名は三法師)が城主となった。
慶長5年(1600)関が原の戦いで秀信は西軍についたため、関が原合戦の前8月に東軍に攻められ落城した。慶長6年(1601)岐阜城は徳川家康の命で廃城となり、奥平信昌が10万石を与えられて加納城を築城するにあたり、岐阜城の天守や櫓などが資材として移された。
明治43年になって模擬天守が建てられたが、昭和18年に火災で焼失し、現在の天守は昭和31年に再建された。

構造と感想
岐阜城は、美濃平野の北端中央に位置し、眼下に美濃はもちろん遠く尾張・伊勢まで見渡せる峻険な岩山である金華山(標高336m)の山頂に築かれている。
山頂は狭小で平坦面を造り出すために、天守西側や天守南側の嵩上げされた鞍部の側面に段築の石垣を、また、城戸などの要衝には巨石を用いた石垣を築き、見せるための城づくりがなされている。さらに山頂近くの数か所に井戸が設けられており、生活の場や戦う城の面も窺える城である。
現在に残る構造は、頂部に本丸を置き、その南下に上段腰郭、上段腰郭の南東一段下に下段腰郭を付帯させている。上段腰郭の西端から南の鞍部を段築石垣で嵩上げし、台所郭と平坦面で連結させている。台所郭の南側には堀切が入り、その南側が七間郭で、さらに南下がリス園となっている煙硝郭である。
大手道は煙硝郭、七間郭、台所郭の東下を通り、二の丸から嵩上げされた鞍部へと登るルートと、さらに鞍部の東下から本丸南下を通り下段腰郭に至るルートが設定されている。この大手道には、巨石石垣で築かれた一の城戸、、二の城戸が構えられていた。
山頂からの眺望は抜群で、山頂周辺はもちろん数本の登城ルート沿いの山腹にも遺構が残っており、全山を要塞化した城跡を見ることができる。

道 案 内
東海北陸道の岐阜各務原インターを下りて国道21号の西方向に入る。国道21号を5.1km程西進した茜部本郷交差点で右折し国道157号に入る。国道157号を北に2.7km行った岐阜駅前交差点で右折し、750m程北上した神田町5交差点を直進する。国道256号となり1.7km先で国道は右折し、320m程先で今度は左折する。また、280m程先で右折し、260m程先の岐阜公園前交差点で再び左折する。左折後250m程北上し斜め左手に入り、70m程先で右折し国道下を潜り80m程行った十字路で再び右折する。110m程南に進むと右手に有料駐車場がある。
岐阜公園内のロープウェ−または公園の南側にある岐阜森林管理署岐阜森林事務所の東側より「七曲大手道」を登る。
なお、ロープウェ−乗り場近くから登る「馬の背道」は非常に険しい道である。

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一の城戸の石垣         二の城戸の石垣

 
台所郭に建つ気象台       台所郭西下の井戸

 
台所郭と七間郭間の堀切         七間郭展望台からの眺望

 
本丸井戸            腰郭と本丸の切岸