八間長者城  No20202−18 (はけんちょうちょうじゃじょう)      

展望台 展望台背後の細尾根

城郭の概要                  
別  名 : 八軒城、八間城、
所在地 : 松本市北内田 崖の湯
築城年 :
形  式 : 山城
遺  構 : 土塁、竪堀、横堀、土橋、
訪城日 : 平成23年11月25日

歴   史
j城歴等は定かではないが、鎌倉時代から室町時代に亘って内田・中山を支配した波多氏(または波多腰氏とも)の拠った城でないかとされる(『松本市史』)。
しかし、戦国後期には信濃国守護小笠原氏の松本平防衛のための城砦群の一つになったと推測され、天文19年(1550)武田氏が小笠原氏を追い、松本平を領有すると、この城は武田氏の持ち城になったと考えられている。

構造と感想
八間長者城は、松本市南東部の塩尻市との市境近くに位置し、鉢伏山から塩尻峠へ至る塩嶺山地の横峰から派生する幅広い尾根の西端部に突出した台地上に築かれた山城である。城域は、細尾根を挟んで上方の山城部と下方の丘城部に分かれている。
東上方の山城部は、ピーク(標高1,042m、比高112m)に40m×24mの広い郭を構え、その西下方へ大小3つの郭を設けている。背後は両斜面に竪堀を入れ、土橋を造り、遮断している。詰城の役割を担っていたと推測されている。
西下方の丘城部は、なだらかな傾斜地に広大な郭を設けており、居住区の要素が強いように思われる。その構造は、南側の崖の湯温泉側は谷で急崖、北側は東西に走る二本の幅広い沢で区画され、この間の二筋の斜面の中程と下端近くに横堀を入れ、横堀間が緩斜面で広い郭を設けている。南側斜面の上の横堀上方にも三段築成の広い郭を構え、その上方がやや急な斜面で雛壇状に段郭を連ね、頂部が展望台としている。沢の間もよく似た構造で、段郭と広い郭が横堀で区画されている。沢は上部で合流し、展望台の北西下に突き当たっている。
展望台の背後は括れて細尾根となり、それが60m程続く。尾根の東端には堀切、細尾根の南側斜面に3条、北側斜面に4条の竪堀を入れ、竪堀間は土橋とし、堅固な防備としている。
この城は比高90m程であり、小笠原氏系の山城とは異なる独特な縄張りや良好な遺構を手軽に楽しめる城跡である。

道 案 内
長野道の塩尻北インターを下りた直ぐの塩尻北IC交差点で右折し県道27号線に入る。東に進み国道19号上を越えるとUターンするようなカーブがあり、国道19号との吉田北交差点に至る。この交差点を右折し国道19号に入る。国道を北に930m程行くと村井交差点があり、そこで右折し県道287号線に入る。930m程東進した寿小池交差点を右折、引き続き県道287号線を南下する。道なりに2.2km程進むと内田交差点に至る。ここで右折、さらに県道287号線を南に250m程行くと崖の湯口バス停があり、直ぐ先の十字路で左折し、南東向きに市道に入る。常楽寺横を通り450m程市道を進むと川沿いに出る。川沿いを150m程走ると左手に橋がありそれを渡る。2km程道なりに進むと崖の湯温泉に着く。付近の余白に駐車し、左手奥へ戻るように進むと山七旅館があり、その前を通り過ぎ70m程行くと右手上方に林家墓地がある。そこへ登る山道があり、墓の奥が城域である。

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展望台背後の細尾根         広い郭間の沢(竪堀)

 
南側の広い郭       南側広い郭下の横堀

 
南側広い郭南西隅の虎口と横堀      南側上方の広い郭

 
南側上方の横堀             詰城の郭と土塁