小松寺山砦 No23219−04 こまつじやまとりで)       

城址碑 西砦跡

城郭の概要                  
別  名 :
所在地 : 小牧市小松寺1121(小松寺)
築城年 : 天正12年(1584)
形  式 : 平山城
遺  構 : −
訪城日 : 平成27年3月30日

歴   史
天正12年(1584)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として築かれた。三好秀次(後の関白豊臣秀次)、丹羽長秀などが守備した秀吉軍の主陣地で、東西二つの砦からなり、東砦が十間四方(約18m)、西砦が南北十間(約18m)、東西八間(約14m)のであったと云われる。
この合戦で秀次は、池田恒興らと共に家康の岡崎城を奇襲する「三河中入り」作戦の総大将になるが、進軍中に第一隊の恒興が岩崎城(日進市)を攻城している間、第四隊の秀次、第二隊の森長可、第三隊の堀秀政の各部隊は、現在の尾張旭市、長久手市、日進市にまたがる地域で休息し、恒興の進軍を待った。その頃、徳川軍が背後に迫り、秀次隊は後方や側面から徳川軍の奇襲攻撃を受け壊滅した。秀次は自身の馬を失い、供回りの馬で辛くも逃げ遂した。しかし、目付として付けられていた木下祐久・利匡兄弟を初め多くの木下氏一族が、秀次の退路を確保するために討死にした。
小松寺山砦は、この合戦後に廃城になった。

構造と感想
小松寺山砦は東西二つの砦があり、西砦が小松寺あたり、東砦が旧小松寺山一帯にあったとされ、現在、小松寺の東隣に鎮座する八所・熊野社合殿前に城址碑と説明板が建てられている。また、東砦があった小松寺山は、昭和40年代に開発されて小松団地となり、消失している。
八所・熊野社合殿の周辺に地山が残っており、砦の雰囲気が味わえる。

道 案 内
小牧城を望む
名神高速小牧インターを下りて左折し国道41号に入り北に640m程行った村中交差点で右折する。国道155号を東に2.1km程行った小牧原交差点で左折し、県道102号線に入る。県道102号線を1.2km程北上した久保新町交差点で右折し、県道27号線に入る。県道27号線を410m程東に行った
味岡中学校北交差点を直進し、240m程先の次の十字路で左折する。170m程北上した突き当たりが小松寺で、この付近一帯が城跡である。

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